員光保(読み)かずみつほ

日本歴史地名大系 「員光保」の解説

員光保
かずみつほ

現下関市の中央山間部の大字員光かずみつ井田いだ小野おの辺りを領域とすると思われる。

弘安五年(一二八二)の大蔵省下文(「閥閲録」所収小野貞右衛門家文書)に、

<資料は省略されています>

とあり、員光保内の井田畑いだばた井手上いでがみ小倉おぐら新開発などの年々の所当を地頭里見次郎太郎信重が押領したので、小野権介資通に年貢以下の沙汰を行うよう命じている。しかし里見信重の押妨はなおも続き、百姓らの身代までも押し取ったので同年八月一八日、その押妨を停止し、土民らの年貢を弁済、小野資通の沙汰とすべき旨を員光保沙汰人に命じている(同文書)

また建武年間(一三三四―三八)に「小野村内井太畑」は寺家によって違乱を被ったので、同三年一二月将軍御教書が長門守護厚東武実に下され、益富弥八入道とともに小野資顕に安堵されている(同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む