日本歴史地名大系 「唐糸塚」の解説 唐糸塚からいとづか 青森県:南津軽郡藤崎町藤崎村唐糸塚[現在地名]藤崎町藤崎藤崎集落の北西、二本柳(にほんやなぎ)にある。曹洞縁起誌満蔵寺之篇(津軽一統志)によれば、弘長年間(一二六一―六四)鎌倉幕府執権北条時頼の愛妾唐糸御前が、他の侍妾の妬みにより藤崎に移った。時頼が廻国してくると、唐糸は「我曾為時頼所愛偏依有色也。今有何面目而再見此人哉」と石を抱いて入水した。時頼はもと平等教院(平等教陣)といい、霊基寺となって荒廃していたものを、弘長二年護国寺として再興し、田舎(いなか)・花輪(はなわ)(鼻和)・平賀(ひらか)の三郡を寄進して唐糸の菩提を祈ったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報