朝日日本歴史人物事典 「喜多見重政」の解説
喜多見重政
生年:生年不詳
江戸前期の幕臣,大名。父は石谷武清,母は養父の幕臣喜多見五郎左衛門重恒の娘。寛文12(1672)年に家を継いで1120石を知行し,書院番士となる。延宝8(1680)年中奥番士,次いで小姓に昇り,翌天和1(1681)年従五位下若狭守に叙任され,2000石加増。3年には6800石余を加増されて1万石の大名となり,側用人に昇進した。さらに貞享3(1686)年にも1万石を加増されたが,元禄2(1689)年に所領を収公されて桑名藩主に預けられ,配所で没した。これは,才能を認められて抜擢されたにもかかわらず,職務に心を入れなかったためとされているが,分家の刃傷事件に関与したためともいう。
(深井雅海)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報