噫無情(読み)アアムジョウ

デジタル大辞泉 「噫無情」の意味・読み・例文・類語

ああむじょう〔ああムジヤウ〕【噫無情】

黒岩涙香くろいわるいこうの翻案小説ユゴーの「レ‐ミゼラブル」が原作。明治35年(1902)から明治36年(1903)にかけて「万朝報よろずちょうほう」に連載

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精選版 日本国語大辞典 「噫無情」の意味・読み・例文・類語

ああむじょうああムジャウ【噫無情】

  1. ユーゴー著「レ‐ミゼラブル」の黒岩涙香による翻訳題名。明治三五年(一九〇二)から同三六年まで「万朝報」に連載。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「噫無情」の意味・わかりやすい解説

噫無情
ああむじょう

黒岩涙香(るいこう)がビクトル・ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』を一般読者に理解しやすく翻訳し、『萬朝報(よろずちょうほう)』に連載(1902年10月8日~1903年8月22日)したもの。原作の複雑な箇所を省略し、人名も主人公ジャン・バルジャンを戎亙戎と漢字で表すなど、親しみやすい配慮読書界をわかせた。

富田 仁]

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デジタル大辞泉プラス 「噫無情」の解説

噫無情

1935年製作のアメリカ映画原題《Les Misérables》。ヴィクトル・ユーゴー『レ・ミゼラブル』の映画化。監督:リチャード・ボレスラウスキー、出演フレデリックマーチ、チャールズ・ロートン、セドリック・ハードウィックほか。第8回米国アカデミー賞作品賞ノミネート。

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世界大百科事典(旧版)内の噫無情の言及

【フランス映画】より

… 映画を通俗的な娯楽として発展させようとしたアメリカ(ハリウッド)の歴史とは対照的に,映画を〈芸術〉に高めようとする志向がフランス映画には早くからあり,1907年にラフィット兄弟によって設立された〈フィルム・ダールFilm d’Art社〉がまず,安っぽい短編,トリック映画,見世物的映画の興行的行詰りを打開するために,当時の舞台の芸術家,人気俳優を起用し,またアナトール・フランスやエドモン・ロスタンといった有名作家のオリジナルシナリオや文豪の名作を映画化して新しい知識階級の観客層をつかまえ,まさに〈フィルム・ダール(芸術映画)〉への道を開くことになる(しかし,映画史家・理論家モーリス・ベッシーのように,〈それ自身においては演劇の複製に止まり,映画を誤った方向へ向かわせる結果となった〉という見方もある)。劇作家のアンリ・ラブダン作,アンドレ・カルメット,ル・バルジー共同演出,コメディ・フランセーズの名優たちの出演による《ギーズ公の暗殺》(1908)の大ヒットから,パテー映画社が設立したS.C.A.G.L.(著作者・文学者映画協会)の製作による,アルベール・カペラーニ演出,アンドレ・アントアーヌの自由劇場の名優の出演によるユゴー原作《ノートル・ダム・ド・パリ》(1911),《噫無情》(1912),アンドレ・アントアーヌ演出によるゾラの《ジェルミナール》(1914)等々をへて,ルイ・メルカントン演出,名女優サラ・ベルナール主演の大作《エリザベス女王》(1912)に至るまで,〈フィルム・ダール〉の名で呼ばれた演劇的文芸映画がヨーロッパのみならずアメリカにも影響を及ぼし(アドルフ・ズーカーが《エリザベス女王》を全米で公開して大ヒットさせ,フィルム・ダール社の映画づくりをモデルにパラマウントの前身であるフェイマス・プレイヤーズ社を創設したことはよく知られている),映画史上一つのエポックを画した。なお,先のパテー映画社はフィルム・ダール社の全作品の配給権を握ると同時に製作もした。…

【ユゴー】より

…また自由民権の運動家たちから,文筆と政治活動をとおして社会の自由を守る偉大な人物として評価され,さらに雑誌《国民之友》では,作家としての天才的な力量を称賛された。1902年(明治35)に黒岩涙香が《レ・ミゼラブル》を翻案し,《噫無情(ああむじよう)》と題して出版したが,以後ユゴーは主としてこの作品の著者としてだけ知られてきたきらいがある。【辻 昶】【稲垣 直樹】 ユゴーは優れたデッサン家でもあった。…

【レ・ミゼラブル】より

…各国語に翻訳され,世界文学の古典として愛読されてきた。日本でも,1902‐03年に黒岩涙香が《噫無情(ああむじよう)》と題して翻案し大好評を博して以来,広く読者に読み継がれている。明治時代には,社会改革の理想を追求した作品として衆人の関心を集め,以後も何度となく邦訳されている。…

※「噫無情」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」