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(有山輝雄)
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翻訳家、評論家。本名周六。文久(ぶんきゅう)2年9月29日高知に生まれる。17歳で上京、慶応義塾中退後、『改進新聞』『絵入自由新聞』『都新聞』などの記者生活を経て、1892年(明治25)『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊。その間に欧米の探偵小説の翻訳を試み、『法廷の美人』(1888)、『人耶鬼耶(ひとかおにか)』(1887~88)で世評を得、広く知られるに至った。『萬朝報』紙上では、論説に社会の不正悪徳を糾弾するかたわら、『鉄仮面』(ボアゴベイ作。1892~93)、『幽霊塔』(ベンジスン夫人作。1899~1900)、『巌窟王(がんくつおう)』(デュマ作。1901~02)、『噫無情(ああむじょう)』(ユゴー作。1902~03)などを訳出、達意の文章と流麗な自由訳とでロマンスの魅力を世に伝えた功績は大きい。さらにSF、未来記にも関心をもち、『暗黒星』(ニューコム作。1904)、『八十万年後の社会』(H・G・ウェルズ作。1913)などの訳があるのも注目される。また社会救済を目ざす「理想団」(1901)をおこしたことがあり、評論に『天人論』(1903)などがあるほか、五目並べを組織化して「連珠(聯珠)(れんじゅ)」と命名、『聯珠真理』(1906)を刊行したりしている。大正9年10月6日没。
[遠藤 祐]
『『明治文学全集47 黒岩涙香他集』(1971・筑摩書房)』▽『伊藤秀雄著『黒岩涙香伝』(1975・国文社)』
ジャーナリスト。本名は周六,涙香は号。高知県安芸郡川北村生れ。父は郷士で寺子屋の師匠。大阪英語学校を経て東京の成立学舎と慶応義塾に学ぶ。北海道開拓使長官黒田清隆の官有物払下げを攻撃した記事を執筆した理由で1883年投獄されて労役に服す。西洋小説の翻案で名をあげ,92年《万朝報(よろずちようほう)》を創刊。他紙が1銭5厘のところを1銭とし,特定政党や企業の世話にならず,広く売れることによって独立の報道をなしうる大衆新聞を作った。支配層のスキャンダルの暴露と趣味娯楽記事の重視をとおして,日清戦争のころには発行部数5万に達し,第2位の《東京朝日新聞》の2万5000を大きく引き離した。
涙香の翻案は原作小説を読み終えたあとは原本を見ずに筆をすすめる方式をとった。登場人物は日本風の名にかえられ当時の読者の暮しの中で呼吸した。89年の《法廷の美人》(コンウェー原作)に始まり《鉄仮面》(ボアゴベ),《巌窟王》(デュマ),《噫無情(ああむじよう)》(ユゴー)など。彼自身の創作として日本最初の推理小説《無惨》(1889),SF小説《今の世の奇跡》(1918),評論《天人論》(1903),《小野小町論》(1913)。内村鑑三らの影響をうけて〈理想団〉という結社による社会改革をおこしたが,日露戦争で自身が主戦論に転じたため,内村,幸徳秋水,堺利彦,石川三四郎が《万朝報》から離れた。
執筆者:鶴見 俊輔
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明治・大正期のジャーナリスト,翻訳家,探偵小説家 「万朝報」主宰。
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1862.9.29~1920.10.6
明治・大正期の新聞記者・小説家。土佐国生れ。本名周六。1878年(明治11)大阪英語学校に入学,翌年上京。82年「同盟改進新聞」に参加後,「絵入自由新聞」「都新聞」などの主筆となり,92年「万(よろず)朝報」を創刊。人気を呼んだ「鉄仮面」などの翻案小説を連載したほか,社会派的な暴露記事を得意とし,蝮(まむし)の周六と恐れられた。大正期には大隈内閣を支持して不評を買った。
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…明治20年代の後半に東京の商業新聞がはげしい販売競争を演じたとき,つやだねや暴露記事で売行きの増大をはかった新聞を赤新聞といった。1892年黒岩涙香の創刊した《万朝報》が〈娯楽的毒舌新聞〉(正岡芸陽の言葉)として売り出したのがその最初で,同紙が淡紅色の用紙だったことからこの名が生まれたともいう。昭和の初め《読売新聞》が正力松太郎新社長のもとで部数を増していったころにも,新聞界の一部にこれと似たセンセーショナリズムの傾向が見られた。…
…明治に入ってから1対1の競技かるたが生まれ,研究団体,競技団体がつくられて各地で練習会を開催,選手は自分たちの技量を他流試合に求めはじめた。これに着目した黒岩涙香は,かるた早取法を考案し,東京かるた会を設立,会長となった。彼は従来の変体仮名の札を総平がなに改めた〈標準かるた〉を考案,この札で1904年2月11日万朝報新聞社の主催で第1回競技かるた大会を開催した。…
…《日本人》は高島炭鉱の坑夫の労働条件の過酷さを訴えて,いわゆるルポルタージュの先駆となり,《日本》は正岡子規の俳句再興の舞台となって国民的なひろがりをもつ短詩型文芸慣習を定位するなど,日本の近代文学に貢献した。また黒岩涙香の《万朝報》や秋山定輔の《二六新報》は,それぞれに政・財界人のめかけ囲いを暴露したり,民営タバコのもうけがしらの私行をあばいたり,吉原の娼妓を解放したりなどしてセンセーショナルな紙面構成をはかり,廉価なこととあいまって大衆的な新聞となった。とくに《万朝報》の用紙がうす桃色だったこともあって赤新聞とさげすまれたが,これは既成体制の選良層が放ったものであった。…
…概してフランスの推理小説はなぞ解きパズルよりは,人間心理や物語性,社会・風俗に重点を置いている。
[歴史――日本]
明治時代の黒岩涙香などの翻訳・翻案によってイギリス,アメリカ,フランスの探偵小説(と当時は呼ばれていた)が日本に紹介されたが,創作の優れた作品といえば,大正期の谷崎潤一郎《途上》(1920),芥川竜之介《藪の中》(1922),佐藤春夫《女誡扇綺譚》(1925)などを待たねばならない。これらの作家はもちろん推理小説的作品だけを書いたわけではないが,後に日本最初の推理小説作家と呼ばれた江戸川乱歩,横溝正史(1902‐81)らは,上記の作品によって大きな刺激を受け,とくに怪奇,幻想の特色を受け継いだのであった。…
…また自由民権の運動家たちから,文筆と政治活動をとおして社会の自由を守る偉大な人物として評価され,さらに雑誌《国民之友》では,作家としての天才的な力量を称賛された。1902年(明治35)に黒岩涙香が《レ・ミゼラブル》を翻案し,《噫無情(ああむじよう)》と題して出版したが,以後ユゴーは主としてこの作品の著者としてだけ知られてきたきらいがある。【辻 昶】【稲垣 直樹】 ユゴーは優れたデッサン家でもあった。…
…1892年11月,黒岩涙香(周六)によって創刊された新聞。93年に山田藤吉郎の経営していた《絵入自由新聞》(1882年9月創刊)と合併し,以後は黒岩が編集を,山田が経営実務を担当した。…
…各国語に翻訳され,世界文学の古典として愛読されてきた。日本でも,1902‐03年に黒岩涙香が《噫無情(ああむじよう)》と題して翻案し大好評を博して以来,広く読者に読み継がれている。明治時代には,社会改革の理想を追求した作品として衆人の関心を集め,以後も何度となく邦訳されている。…
…中国,漢から六朝(りくちよう)時代に行われた美文体の宮廷文学の一種。諸物にちなむ美辞麗句を,真珠を連ねるように重ね,その間に風刺の意を含ませたもの。多く4句を重ねる形,あるいは四六駢儷(べんれい)の形をとり,短い凝縮した句を多次元的に重ねて,美しく朗誦できるようにくふうする。漢の揚雄に始まるとされ,〈賦〉の応用形態であるが,完全に残る作例は,《文選》に載せる晋の陸機の〈演連珠〉50首のみ。《芸文類聚(げいもんるいじゆう)》巻57連珠に,漢から梁までの連珠作品の一部分を収録している。…
※「黒岩涙香」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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