日本歴史地名大系 「四ッ興屋村」の解説
四ッ興屋村
よつこうやむら
東を
寛文一一年(一六七一)に庄内藩郡代となった高力忠兵衛は、不作でも定免取とし、不納分には高利の貸米を行ったほか、年貢米吟味では過分の足し米を強制、さらに郷中見廻りもせず百姓の実情にうとかった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東を
寛文一一年(一六七一)に庄内藩郡代となった高力忠兵衛は、不作でも定免取とし、不納分には高利の貸米を行ったほか、年貢米吟味では過分の足し米を強制、さらに郷中見廻りもせず百姓の実情にうとかった。
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