四ッ興屋村(読み)よつこうやむら

日本歴史地名大系 「四ッ興屋村」の解説

四ッ興屋村
よつこうやむら

[現在地名]藤島町三和みわ

東を京田きようでん川が流れ、江戸街道が通る。枝郷に四ッ興屋新田村がある。弍郡詳記では沼口ぬまぐち・本田・新田・荒屋敷あらやしきの四集落よりなる。元禄四年(一六九一)の新田頭は角左衛門であった(藤島町史)。天和元年(一六八一)頃には南方の当村とゆずりは村との間に独立した沼口村があったが、のち廃村となり、土地は当村分となったとみられる。新田集落は沼口村よりの移住者によるともいう(同書)。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に四興野村とみえ高七八石余、以後庄内藩領。寛永元年庄内高辻帳では高二二九石余。天保郷帳に古くは四ッ興屋村・四ッ興屋新田村二ヵ村と注記がある。弍郡詳記によれば免四ツ六分、家数三八。

寛文一一年(一六七一)に庄内藩郡代となった高力忠兵衛は、不作でも定免取とし、不納分には高利の貸米を行ったほか、年貢米吟味では過分の足し米を強制、さらに郷中見廻りもせず百姓の実情にうとかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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