日本歴史地名大系 「四ッ興屋村」の解説
四ッ興屋村
よつこうやむら
[現在地名]藤島町三和
東を
寛文一一年(一六七一)に庄内藩郡代となった高力忠兵衛は、不作でも定免取とし、不納分には高利の貸米を行ったほか、年貢米吟味では過分の足し米を強制、さらに郷中見廻りもせず百姓の実情にうとかった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東を
寛文一一年(一六七一)に庄内藩郡代となった高力忠兵衛は、不作でも定免取とし、不納分には高利の貸米を行ったほか、年貢米吟味では過分の足し米を強制、さらに郷中見廻りもせず百姓の実情にうとかった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新