四ヵ国借款(読み)しかこくしゃっかん[たいちゅうごく]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「四ヵ国借款」の意味・わかりやすい解説

四ヵ国借款[対中国]
しかこくしゃっかん[たいちゅうごく]

1910年イギリスアメリカ,ドイツ,フランス四ヵ国の銀行家が組織した独占的な対中国借款。 09年ドイツ・アジア銀行が湖広鉄道借款を引受け,イギリスの香港上海銀行,フランスのインドシナ銀行が参加,同年6月6日清朝政府と借款契約を結んだ。次いでアメリカがこれに割込み,10年5月 23日四ヵ国借款団が成立。 11年5月 20日湖広鉄道借款 600万ポンドの契約が結ばれた。なお同年4月 15日には幣制改革,満州開発借款 1000万ポンドの契約も行われていた。このうち幣制改革,満州開発借款に対する 40万ポンドの前渡しが行われたが,10月の辛亥革命で清朝政府が崩壊したため,これら2つの借款は起債されずに終った。その後 13年9月にイギリス,フランス,ドイツ3ヵ国の銀行家は借款団規約の廃棄を決定し,アメリカもこれを承認したため,四ヵ国借款団は消滅した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む