中国における通貨制度の改革をいうが,1935年の幣制改革が有名である。28年に南京に成立した国民政府は,成立直後,通貨の統一を企図し,35年11月,財政部布告をもって幣制緊急令を発し,幣制改革を断行した。その内容は,(1)中央,中国,交通の政府系3銀行の発行する銀行券のみを法幣(法定通貨)とし,他の銀行の発券はもちろん,銀の行使をも禁止する,(2)一部の銀行,会社,商店,公私機関などの所有する銀貨,銀塊,その他銀類を回収して3銀行に移管し,発行準備にあてる,(3)銀を離れて不換紙幣となった3発行券の価値を,外国為替の無制限売買によって安定させること,などである。法幣は最初英ポンドにリンクされ,のちに米ドルに結びついた。この幣制改革によって,中国に初めて近代的管理通貨制度が生まれ,国民政府による全国的な通貨,金融の統一が成功した。しかし第二次世界大戦後の内戦と国民党軍の敗退のなかで生じた空前のインフレーションによって,法幣の価値が暴落した。そこで48年8月,法幣の代わりに金円券を発行し,つづいて翌年7月,さらに銀元券を発行したが,すぐ取り付けにあい,国民政府は台湾にのがれた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
近代中国における貨幣制度の改革。伝統中国社会は銀両,銅銭を主とする雑多な貨幣が流通する経済であった。欧米諸国との接触ののち,中央政府財政の近代化と分断的市場体系の統一化をめざして,一つの本位貨幣による統一幣制の確立が課題とされた。清末から1929年のケメラー案にいたる幣制改革への各種提言はこの流れに沿ったものである。実効ある改革は,27年に,従来の軍閥政権に比べて,欧米諸国の強力な支援と,上海を中心とする経済力そして官僚・軍事機構に依拠した南京国民政府によって着手された。28年の中央銀行設立,33年の廃両改元(銀両制度から銀元制度へ),35年の中央銀行の増資と中国・交通両銀行への政府支配力の強化,そして35年11月の幣制緊急令(法幣の発行)が,その歩みを画期する。こうして,日中戦争直前に,銀元を単位とする幣制が確立したのである。
執筆者:川井 悟
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国の通貨制度の改革、とくに国民政府により1935年に行われた改革をさす。その意義は、〔1〕通貨発行銀行を中央、中国、交通、中国農民の四銀行(42年には中央銀行のみ)に集中したこと、〔2〕33年の「廃両改元」により旧来の秤量(ひょうりょう)貨幣から銀本位貨幣に進み、それを受けて金本位制を経ずに管理通貨の「法幣」を発行したこと、〔3〕外貨とリンクしたこと、などがあげられる。
幣制改革にはイギリス政府の首席経済顧問リース・ロスが指導にあたったため、外貨とのリンクは最初はイギリス・ポンドであったが、1936年の米華銀協定以来アメリカ・ドルと緊密化し、ドル圏の支配下に入った。第二次世界大戦後まで続いたが、国民政府が政治的・財政的な安定に欠けたため、48年に廃止された。
[加藤祐三]
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