百科事典マイペディア 「ワチラウット」の意味・わかりやすい解説
ワチラウット
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タイのラタナコーシン朝第6代国王。在位1910-25年。一般にラーマRama6世と呼ばれる。歴代国王中最初の留学経験者。1893年から1902年までイギリスのサンドハースト陸軍士官学校などに学ぶ。父王チュラロンコンに続き西欧文明の摂取にも尽力したが,その関心は西欧に比肩し得る文化基盤--民族意識--の整備強化であった。姓制度の採用,新国旗の制定,祝祭日の整備,スポーツの普及,義務教育制の導入,議会制実験都市〈ドゥシットターニー〉の建設など,西欧色の強い文化施策を推進した。また,文才を生かして反華僑論文〈東洋のユダヤ人〉などの著作を通じて民族意識の高揚につとめた。反面,現実の権力関係などに対する配慮を欠いた。特に国王直属の擬似的軍隊スアパー(野虎隊)の創設とそのための莫大な出費は各方面からの反感を買い,1912年には王制打倒反乱未遂事件が発覚した。文学に対する造詣が深く,シェークスピア作品などを翻訳・紹介する一方,自らも多数の創作を残した。
執筆者:赤木 攻
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「ラーマ6世」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…日本からも政尾藤吉,安井てつなど,刑法,女子教育,養蚕などの専門家が渡タイした。 チュラロンコンのつくった近代的国民教育の基礎は,6世王ワチラウット(在位1910‐25)の時代に〈初等教育法〉(1921)が成立し,義務教育制度が導入されることによって確立した。外国留学を経験した最初のタイ国王であるワチラウットは,文人としての評価はあるものの,すぐれた統治者とはいいがたかった。…
※「ワチラウット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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