契約とは,互いに対立する複数の行為主体の意思表示の一致(合意)によって成立する行為である。法律的には後述のように債権・債務関係が発生することを意味する。
契約行為と社会関係
イギリスの歴史法学者H.J.S.メーンは《古代法》(1861)において〈身分から契約へ〉という社会進化の図式を提示し,父権制社会の中で身分的に拘束されていた人間が解放される過程をえがいた。このメーンの書物のドイツ語版(1880)に影響を受けたドイツの社会学者F.テンニースは《ゲマインシャフトとゲゼルシャフト》(1887)において,法律的行為としての契約が合理的な法律関係の特質を示すと同時に,あらゆる合理的な社会関係の表現でもあることを説いた。彼はゲゼルシャフト(利益社会)や国家が個々人の自由意思にもとづく契約から成り立つとし,〈契約とは,ゲゼルシャフト的行為としての交換において,ある一点で交わる二つの相異なる個別的意思の合致である〉と定義づけている。
このような契約行為が真に重要な意味をもつのは,商品交換,商品生産が支配的となる近代市民社会の成立期であった。市民社会とは絶対主義国家の社会関係のあり方に対立し,それを克服・止揚したところに成立した資本主義的な自由な社会関係の支配する社会である。このような市民社会の中で,独立した自由で平等な関係にある商品所有者が,相互に利益を交換するために契約関係を取り結ぶのは当然のことであった。こうした契約関係の例として,17~18世紀に支配的な啓蒙思想としての社会契約説を忘れるわけにはいかない。社会契約説は,国家(社会)の起源を自由・平等な個人の相互契約に求める考え方であるが,各人がそうした契約を取り結ぶのは,各人の生命の安全や,財産などの所有権が国家によって保障されるからである。いずれにしても契約説が支持される社会とは個人主義が支配する社会である。したがって真の契約関係とは独立した個人の自由意思によって決定されるとする〈契約自由の原則〉や,私人間の契約関係は私人の自治にゆだね,私人の意思の法的拘束力を認める〈私的自治の原則〉は,個人主義の社会における契約の特質と位置づけを最も明確に示すものであろう。
他方,集団主義の伝統に根ざす日本では西欧のような厳しい契約意識はみられない。契約書の形式や契約書を取り交わすことは容易に認めながら,契約内容を細部にまでわたって検討し,各人の権利と義務の範囲を明確に定めておくといった当然のことが省略されがちである。日本では契約内容に関して一字一句細部まで厳しく定めることは,相手に対して不信頼を表明することにもなりかねないからである。契約内容の不備は当事者の信頼関係や義理人情関係によって補完されたり,個人の責任は集団の責任として個人への責任追及を中止したりすることが期待される社会であるということができる。しかし,国際化の進展に従って国家間の通商関係や大規模な企業間の商取引が日常的なこととなった今日,契約に対する意識も変化せざるをえないであろう。たとえ信頼関係に裏づけられた人間関係の中でも,契約関係は明瞭に定めるという習慣が必要となっているのである。現代の法哲学者L.L.フラーは,親密な関係と敵対的関係においては秩序づけの原理としての契約は適当ではなく,〈好意をよせあう他人〉の間でのみ契約が機能するといった考え方を提示したが,このような考え方が契約関係の最も困難な点を表現しているとみてもよい。
執筆者:小坂 勝昭
日本史上の〈契約〉
約束すること,また言い交わすことで,用語としては現代とほぼ同じだが,必ずしも法律的用語として限定されてはおらず,現代の日常語としての約束にちかい。したがってその内容は種々多様であるが,とくに将来の行為を約束するために作成される文書は契状,契約状と呼ばれた。契約行為は広くみれば,物の取引・譲与について人間相互に交わされる契約(売買,貸借,相伝,預託,譲渡,和与,寄進など)と,人格関係の設定(僧俗間の主従契約など),職(しき)の補任(ぶにん)と請負,人間相互の共同目的の実現(一揆など)などについて交わされる契約とに大別できるが,それぞれの行為が中世では分化・独立し,固有の文書が作成されることが多かった。一般に契約の結果として作成された文書を証文という。
執筆者:小田 雄三
法律上からみた契約
法律上は,契約とは広い意味では何らかの法律効果の発生を目的とした,2人以上の当事者の合意一般をいう。これを裏からいえば,合意の内容どおりの履行を強制できたり,不履行の場合には,損害賠償を請求できるということなどを意味する。債権の発生,物権の設定を目的とする合意,婚姻,離婚,養子縁組,行政庁相互間あるいは行政庁と私人間の合意など,この意味ではすべて契約である。しかし,せまい意味で契約といわれるときには,債権の発生を目的とする合意のみをいう(民法第3編債権第2章契約)。この意味での,すなわち民法上の技術的な意味での契約は,対立する二つ以上の意思表示の合致と定義され,単独行為・合同行為と対比されつつ,それらとあわせて法律行為の一分類として位置づけられる。
契約観念の成立
上記のように,契約は,合意をその最も本質的な要素とするが,ローマ法においては,〈単なる合意からは訴権は生じない〉という法格言が示すように,合意だけでは法律上の保護は与えられず,当事者が一定の方式(一定の言語を用いて問答を行ったり文書を作成したりすること)を履行したり,一定の金額や物を現実に授受してはじめて訴えを求めることができた。しかし,取引の発達につれて,当事者の達しようとする経済目的が多様化し,雑多な方式で合意をするにつれ,このような方式主義は崩壊に向かった。加えて,行為の外形と意思とを対立させ,意思に重きをおくギリシア思想や,主観的心情を重んじるキリスト教思想の影響により,契約に共通する要素は合意であり,合意が拘束力の根拠であるという考え方が生まれ,合意さえあれば法律上保護されうるとする思想が成立するに至った。その後中世におけるローマ法の継受とその学問化,自然法学とくに理性による法の体系化への努力などにより,およそ権利義務の発生・変更は意思にもとづくという思想が成立した。これによって法律行為の一つとしての契約の位置づけが行われるようになり,せまい意味における契約の観念が完成したのである。
契約自由の原則
合意が法律上保護されるべきだという思想は,言い換えれば,裁判所は当事者の合意によって形成された内容に従って権利義務を判断しなければならないということであり,合意によって当事者は自由に法律関係を形成できるということである。これは契約自由の原則と呼ばれ経済的自由主義政策の法的表現として,各国の民法の基本原則とされ一般に認められている。契約自由の原則の具体的内容としては,上記のほか,一般に次のものがあげられる。(1)締約の自由,すなわち当事者は契約を締結するかしないかの自由をもつ。(2)相手方選択の自由,すなわち契約を締結するに際して,どのような相手を選ぼうとも自由である。(3)契約内容の自由,すなわち当事者は契約内容を自由に決定できる。その内容が,公序良俗など法秩序が実現しようとする価値に反するものであってはならないが(民法90,91条),そうでないかぎりは自由であるというのが,この意味である。(4)方式の自由,すなわち契約は原則として合意だけで成立し,一定の方式をふむことを必要としない。上記のように,歴史的には大きな意味をもつが,なお沿革的理由によって,民法はつねに合意だけで成立するわけではない種類の契約(要物契約--後述)を認めている。
契約の社会的機能
このような基本観念に支えられた契約が果たす機能は,結局のところ市場機構の果たす機能,すなわち個人が自己の計算にもとづき私的利益を追求しつつ取引交渉して財やサービスを生産し,交換するという機能に奉仕するところにある。つまり,契約が合意であるということは,権力や強制によって財を奪うのではなく,互いに対等の立場に立ち取引交渉によってのみ財を得るということを意味するし,自由な合意にもとづくということは,自己の欲しないような取引であれば,しなくてもよいということであるから,私的利益を追求する個人が一致したところではじめて拘束されるということになる。したがって,合意によってのみ財の交換が可能だということは,財についての私的支配すなわち所有権を承認しているということであるので,契約は所有権とならんで市場機構(資本主義体制)を支える基本的な法的枠組みである。ところが,対等な取引主体が自由に交渉する場としての市場というイメージは,現在大きく変容してきており,その結果としてこれを前提とした契約法のイメージも大きく変化していることは,後述するとおりである。
私法上の契約
契約に関する民法の規制
民法は第3編第2章を〈契約〉と題し,契約総則すなわちすべての契約に通じて適用されるべき規定(民法521~548条)を掲げ,次に13種の契約類型をあげて(549~696条),それぞれにつき規定をおいている。13種とは,贈与,売買,交換,消費貸借,使用貸借,賃貸借,雇傭,請負,委任,寄託,組合,終身定期金,和解であり,これらを典型契約という(それぞれの内容については各項目を参照)。しかし,契約に関する民法の規制は,契約の章に属する規定だけではない。契約は債権の発生原因であるから,債権一般に関する規定が適用されることがあり,また契約は法律行為の最も重要な類型であるから,法律行為に関する民法の規定(90条以下)は,契約に最も典型的に適用をみる。したがって契約に関する民法の規制には,第1~3編(いわゆる財産法)全体が及んでいることに注意しなければならない。具体的に述べると,大要は次のとおりである。
(1)契約の成立 契約は相対立する二つの意思表示の合致で成立すると説明され,この意思表示をそれぞれ申込み・承諾というが,民法は,申込みと承諾とによって契約が成立する場合につき,いくつかの規定をおいている(52条以下)。これらの規定はだいたいにおいて申込みが承諾と合して契約を成立せしめる場合についての規定であって,主として手紙でやりとりする隔地者間に着目したものであり,今日では実際的意味に乏しい。なお,申込みと承諾以外でも契約が成立する場合(526条2項およびいわゆる交叉申込み--同一内容の申込みが相互に発せられた場合)もあるほか,申込みと承諾以外の要件を必要とする契約型(要物契約--587条の消費貸借,593条の使用貸借,657条の寄託)もあるので,契約の成立についての問題は個々の契約の解釈の問題に帰属し,成立に関する規定の契約総則としての意義は,あまり大きくない。
(2)契約の効果 契約が成立すると,合意の内容どおりの権利義務関係が契約当事者間に生じ,裁判官はそれを基準として裁判しなければならない。前述したように,これが契約の最も基本的な原則である。したがって,契約当事者がいかなる法律効果を欲していかなる内容の合意をしたかを明らかにし,確定する作業,すなわち契約の解釈が,あたかも法律の解釈に比すべき重要な作業となる。契約の解釈という作業については,法律行為の解釈で述べられている一般論がそのままあてはまるので,ここでは繰り返さない。公序良俗および強行規定に反しない限度で効力をもち,信義則・慣習や任意規定の助けを借りて解釈する必要があるなどの点では共通しているが,ただ契約にあっては,原始的不能(契約の成立時以前に履行が不能なことが確定していること)を目的とする契約は無効であるという法理が承認されていることに由来する特殊な問題がある(契約締結上の過失)。このように契約の効力は契約の解釈によって決まるというにつきるが,それだけではあまりにも漠然としているので,民法は前述したようにローマ法以来の伝統,あるいは日本社会の慣行や見通しなどを加味して13種の契約類型(典型契約)を掲げ,契約の解釈をする際の助けとしている。典型契約の規定はこのような意味しかもたないので契約の解釈の際に無理に一つの典型契約にあてはめ,そこから演繹的に権利義務を判断してはならない,と指摘されることが多い。なお,民法は〈契約の効力〉と題する章を設けているが,その内容は双務契約に特殊な効力(同時履行の抗弁権,危険負担)について定めたものであって,契約一般の効力についてではない。
(3)契約違反に対する救済 契約が成立し,契約の解釈によって効力が認められるならば(無効・取消しの問題が生じないならば),それに従って契約当事者は権利を有し義務を負う。その結果,権利者は,相手方が義務の履行に応じないならば,訴訟を起こし,判決を得て,強制的に契約の内容を実現することができる。さらに,一定の要件の下に,権利者は損害賠償を請求でき(415条),双務契約から生じた債務の不履行がある場合には,これと並んで契約を解除できる(540条以下)。これらが一般的な契約違反に対する救済手段であるが,個々の契約について特殊な救済手段が認められていることがある(売主の担保責任を定めた561条以下など)。
契約の種類
契約は種々の角度から分類される。主要な分類をあげれば次のとおりである。
(1)有償契約・無償契約 契約当事者が対価的な意味(たとえば売買契約における目的物と代金)をもつと考える財産上の損失を相互に負担する契約が有償契約で,そうでない契約が無償契約である。前者の例としては売買,交換,利息付消費貸借,賃貸借,雇傭,請負等が,後者の例としては贈与,無利息消費貸借,使用貸借等が,それぞれあげられる。合意が法律上拘束力をもった(すなわち裁判によって強制しうるものとなった)最初のものが(紛争を解決する合意すなわち和解を除けば)有償契約であったと考えられており,この意味で,この分類は最も基本的なものだと解されている。民法上,有償契約には売買の規定が準用され(559条),この点において有償契約と無償契約とを区別する意味がある。このほか,両者間には効力に差異があることが多い(たとえば贈与者の担保責任について規定する551条と売主の担保責任について規定する561条以下との対比)。
(2)双務契約・片務契約 契約当事者双方が対価的意味をもつと考える債務を負担する契約が双務契約,そうでない契約が片務契約である。民法上双務契約はすべて有償契約である。片務契約は,だいたいにおいて無償契約であるが,有償契約である場合もある。たとえば利息付消費貸借は有償契約であるが,貸主は何らの債務を負担しないから(587条),片務契約である。民法上同時履行の抗弁権および危険負担が双務契約特有の効果とされる点で,両者を区別する意味がある。
(3)諾成契約・要物契約 契約の成立に合意だけが要求されるものが諾成契約,合意以外に物の引渡し等の給付が要求されるものが要物契約である。民法上,消費貸借,使用貸借,寄託が要物契約とされ,他の典型契約はいずれも諾成契約である。要物契約は合意だけで成立しないのだから,契約成立の時期が諾成契約と異なることになり,この点で両者の差異がみられる。要物契約は,単なる合意だけでは契約の拘束力が認められなかった時代の思想の反映であって歴史的なものにすぎないという考え方が有力であり,たとえば,契約の解釈として諾成的消費契約の効力が認められると解されている。
(4)継続的契約,非継続的(一時的)契約 賃貸借契約(とくに不動産賃貸借),雇傭などのように,契約当事者間に契約期間中契約当事者が継続して給付をするものが継続的契約,売買(とくに私人がする不動産の売買)・贈与などのように1回かぎりの給付で終わるものが常態である契約が非継続的(一時的)契約と呼ばれることがある。主として,学者によって主張されたもので,前者が契約の効力を将来に向かって消滅させるものである点(解除の非遡及効を定めた620,630条参照),1回の債務不履行では直ちに解除することが許されず,当事者間の信頼関係を顧慮しなければならないと解される点,同時履行抗弁権の適用に差異を認むべき点などにおいて,後者と区別される意味があると説かれている。
(5)典型契約,非典型(無名)契約 前記のように民法に規定されている13種の契約が典型契約,そうでない契約が非典型(無名)契約である。前述のように,契約の効力は,まず当事者の合意の内容に即して(すなわち契約の解釈によって)定めるべきものであり,民法の規定はその助けとなるにすぎないものだから,この区別の意味は大きなものではないが,用語としては頻繁に用いられる。
契約をめぐる現代的問題
自由・独立・対等な当事者が取り決めた合意の内容がそのまま裁判上も強制できるものとなる,という契約の基本理念は,市民革命期の経済社会の現実を反映したものであったと考えられる。そのような理念は,権力の拘束から解放され,市場により自律的に財が生産・配分されることに最も大きな利益を得る人々,すなわち市民階級の利益のイデオロギー的表現であり,また,おそらくは同程度の規模をもった多数の家共同体が事業を営んで取引・生産の主体であった段階の社会の産物である。ところが市場経済の進展につれ,取引主体間に経済的格差が生じてくると,契約の自由は強者・富者の自由に転化し,社会的対立・紛争が生じるようになる。まず問題は,雇用(傭)関係にあらわれた。雇用関係を当事者の自由な契約にゆだねれば,雇い手は相対的に供給が需要を上回ることが多い労働力に対して,優位に立つから,自己に有利な条件の契約を労働者に押しつけることが可能であり,その契約の効力をそのまま承認すれば,賃金によってのみ生活するしかない労働者の生活条件は劣悪となる。これを改善するために労働争議・労働運動が生じ,社会的対立は深刻となった。そこで国家が労働関係に介入し,契約内容に規制を加えることになる。労働法と呼ばれる法分野がこうして生まれ,日本では第2次大戦後に展開をみた。同様な法規制は,借地・借家関係,地主・小作関係,高利貸・借主の関係においても発展した(借地法,借家法,農地法,利息制限法等)。次に,交通手段や電気・ガス,大量生産され規格化された商品の供給等,大規模な設備を要し,生活に不可欠な財の供給は大企業により多数の相手方に対してなされるが,取引が多数で定型化されていることは,契約内容の定型化に導き,利用者は,たとえ不利な内容のものであっても生活の必需品である以上,契約を拒否する自由がない(締約強制)。そこで,このような契約内容を公平で合理的なものにするため,いわゆる付合契約ないし普通契約約款の規制が現在の契約の大きな問題となってくる。さらにこれと関連して,大企業と消費者との間の経済的情報上の格差を縮めて対等な取引主体の立場に立たせるための,消費者保護と呼ばれる法技術が発達する。こうして現在の契約においては,契約自由の原則がそのまま妥当する領域は少なくなってきている。そのことは,契約自由の原則の妥当性と,それを支える自由な意思のイデオロギーとの妥当範囲は,いったいどこまでなのか,を問いなおすことになる。現代の契約法はこうした問題点を抱えている。
執筆者:平井 宜雄
公法上の契約
国や地方公共団体の行政活動にともない締結される契約のうち,個人間の契約であれば当然適用される民法・商法などの私法規定が,行政目的である公益の見地から法令または解釈上適用されず,行政に特有な法(公法)に服するものをいう。法令上の用語ではなく,学説・判例の行政法解釈理論において用いられる概念である。同じく行政上の契約であっても,私法規定の適用がある〈私法上の契約〉と区別される。公法上の契約としては,行政上の事務委託,公用負担契約,報償契約,公害防止協定,および行政を当事者としないが土地収用における起業者と土地所有者の和解などがある。適用されるべき公法法理の内容については,たとえば,当事者間の利害調整の見地から定められた契約解除などに関する私法規定の適用はないと説かれているが,いまだ一般的・体系的な法理は確立していない。他方,行政活動にともなう売買・請負などの政府契約は私法上の契約と解されてきたが,これらについても法令上特別の定めがあり,公法上の契約との差異,区別の基準は必ずしも明確ではない。このため,公法上の契約と私法上の契約に区別することに消極的な学説も多い。
→行政契約
執筆者:浜川 清
国際契約,渉外契約
たとえば,日本の電気機器メーカーAとアメリカの輸入業者Bとがロンドンで締結したAの製品の売買契約とか,日本の商社のパリ支店がその従業員としてベルギー人を雇い入れる際の雇用契約などのように,契約当事者の国籍・住所,契約の締結地・履行地など,契約に関する諸要素が2国以上にまたがっているとき,その契約を国際契約または渉外契約という。
国際契約と統一法
国際契約には,売買契約,雇用契約,金銭の貸借契約,運送契約,保険契約,合弁契約,代理店契約,技術援助契約など,さまざまなものがあって,今日の活発な国際的社会・経済活動を支えている。このような活動が法的に円滑かつ安全に行われるためには,国際契約,ことに商取引に関する国際契約の当事者の権利義務関係を直接規律する法が世界的に統一されていることが望ましく,そのための努力が私法統一国際協会(UNIDROIT)や国連商取引法委員会(UNCITRAL)などによって続けられている。しかし現在までのところ,海上・航空・陸上運送契約や動産の売買契約などに関して若干の統一法条約が成立しているにすぎず,その数も統一の対象となっている事がらも限られている。そのため多くの場合,国際契約は相異なった内容で併存する諸国の国内法のうちのどれかによって規律されるほかはないことになる。この場合に,契約を規律する法(契約準拠法)がどの国の法であるかを決めるのが国際私法である。ところで,この国際私法も,現在のところ世界的には統一されていない。もし,契約の準拠法に関するすべての国の国際私法規則が同一であるならば,どの国の国際私法によっても,同一の契約には同一の法が適用されることになるから,契約の法的効力がどの国で問題となろうとも,法的に同じ結果が得られることになり,この点で法的安全が保たれるであろう。それゆえ,前記の,当事者の権利義務関係を直接規律する法(実質法)の統一とは別に,契約の準拠法を決定する国際私法(抵触法)を統一しようという努力もなされている。ハーグ国際私法会議によって,1955年に採択され,64年に発効した〈有体動産の国際的性質を有する売買の準拠法に関する条約〉(北欧諸国等9ヵ国が批准または加入。日本は未署名)はその一例である。しかし,今までのところこのような統一条約は少なく,国際契約の準拠法はそのほとんどが,各国の国内法として存在している国際私法によって決定される。
準拠法の決定
契約の準拠法の決定のしかたには,大きく分けて二つある。一つは客観主義と呼ばれるもので,これには,契約の締結地とか履行地のような契約に関係のある要素の一つを媒介として,締結地の法とか履行地の法を準拠法とする立場と,契約のもろもろの要素や事情を検討して,契約に最もふさわしいと考えられる法を準拠法とする立場とがある。もう一つは,準拠法の指定を当事者の意思にゆだね,当事者の指定した法を準拠法とするという当事者自治の原則に依拠する立場であり,当事者の主観的な意思を媒介とするところから主観主義と呼ばれる。当事者自治の原則は,日本(法例7条)も含めた多くの国の国際私法により採用されている。しかし,当事者に明示の準拠法の指定のみを許すのか,黙示の指定も認めるのか,また,指定できる法は契約に何らかの関連を有する法に限られるのかどうか,さらに,契約準拠法の指定がなかった場合にどのように準拠法を決定するかなどについて,各国の規定は一様ではない。
以上のように,契約準拠法の決定は,契約につき生じた紛争がどの国で問題となるかによって異なる可能性が大きい。そこで,契約準拠法を予測可能とするために,当事者は,争いが生じたときにはどの国の裁判所で訴訟をするかにつきあらかじめ合意をすることがある(国際的裁判管轄の合意)。また,当事者間の権利義務の内容をできる限り詳細に契約条項に規定することによって,実質法の相違が当事者に与える影響をできる限り少なくしようとすることも行われている。これらの条項は,契約準拠法の強行規定に反しなければ有効となるからである。
→国際商法
執筆者:鳥居 淳子