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四・一九学生革命 よん・いちきゅうがくせいかくめい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

四・一九学生革命
よん・いちきゅうがくせいかくめい

1960年に発生した韓国の学生革命。四月革命ともいう。3月 15日に行われた大統領選挙の不正糾弾と馬山事件の責任追及を要求する4月 19日の学生デモに端を発した。事件の背景にはイ・スンマン (李承晩) の独裁政治と過酷な言論弾圧が存在したが,直接の原因となったものは,不正選挙である。不正糾弾の運動は当初選挙関係者と高校生を中心に展開される傾向にあった。しかし選挙当日,野党色の強い南西部の漁港馬山で高校生,市民が警察隊と衝突,警察隊の発砲でデモ側8人が死亡するという惨事が起ると,これに抗議する運動が全国に波及し,運動の担い手も高校生から大学生,市民へと拡大した。この傾向は4月 11日の第2次馬山事件 (第1次事件の犠牲者金朱烈の死体発見を契機とするデモとそれに対する発砲事件〈死者2人〉) 以後加速度的に発展した。 19日のデモは,ソウル大,延世大,高麗大,成均館大,東国大,中央大などのソウル市内の各大学のほか,釜山,光州,大邱などの大学生,高校生も参加して大規模に展開された。これに対し政府は,警備戒厳令,非常戒厳令を発布し,陸軍部隊を投入,ソウル市だけで 108人の死者を出す大惨事を引起した。この間,アメリカはイ・スンマン政府の弾圧策に露骨な干渉を行い,23日には野党民主党のチャン・ミョン (張勉) が副大統領辞任の声明を発表した。しかしイ・スンマンは,24日イ・キブン (李起鵬) の副大統領当選辞退と「超党派」内閣の組織によって事態を打開し,みずからは行政の最高責任者にとどまる方針を明らかにした。それまで不正選挙糾弾と馬山事件の責任追及を主目標とした政府批判運動は,ここにいたって初めて「イ・スンマン退陣」要求へと変化をみせることになった。その突破口となったのが 25日のソウル市内 27大学の大学教授団によるデモ行進であった。イ・スンマンの下野声明が発表されたのは,翌 26日のことであった。イ・スンマンは5月 29日ハワイへ亡命,7月 29日の総選挙を経てチャン・ミョン内閣が成立した。

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