張勉(読み)チャンミョン(英語表記)Chang Myǒn

デジタル大辞泉 「張勉」の意味・読み・例文・類語

チャン‐ミョン【張勉】

[1899~1966]韓国政治家。1950年に国務総理となるが、李承晩大統領と対立して辞任。1955年に民主党を結成し、1960年の四月革命で李承晩政権が倒れた後、再び国務総理に就任した。1961年朴正熙クーデター失脚。ちょうべん。

ちょう‐べん〔チヤウ‐〕【張勉】

チャンミョン(張勉)

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改訂新版 世界大百科事典 「張勉」の意味・わかりやすい解説

張勉 (ちょうべん)
Chang Myǒn
生没年:1899-1966

韓国の政治家。号は雲石。京畿道仁川の生れ。1925年にニューヨークのマンハッタン・カトリック大学を卒業。55年保守野党の民主党結成に参加。56年自由党の李起鵬を破って副大統領に当選したが,親米的性格などに基本的な相違はなかった。60年四月革命で李承晩政権が倒れた後の国務総理に就任。61年韓米経済技術援助協定を締結して新しい韓米関係の実現に努めた。しかし大統領の尹潽善(いんふぜん)派が分裂するなど政権は弱体であり,過渡政権として南北対話にも否定的で南北統一を願う民衆運動にも効果的な対応ができず,61年朴正煕の五・一六クーデタで追放され,政治活動を禁止された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「張勉」の意味・わかりやすい解説

張勉
ちょうべん / チャンミョン
(1899―1966)

韓国(大韓民国)の政治家。京畿(けいき)道生まれ。水原高等農林学校卒業後、アメリカに留学し1925年マンハッタン大学卒業。帰国後、カトリック事業に従い、1931~1945年東星商業学校校長。解放後、政界に入り、各種議員となる。1949~1951年初代駐米大使。1951年国務総理、1952年大統領選に出て落選。1955年に民主党を創立して、与党自由党と対決した。1960年4月の学生革命後、新憲法下の国務総理に選出されて、民主党政権を樹立した(当時のスポークスマンがのちの韓国大統領金大中(きんだいちゅう/キムデジュン)である)。しかし、1961年5月の軍事革命により失脚し、一時は反革命罪に問われた。1965年追放を解除されたが、1966年6月失意のうちに死去

玉城 素]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「張勉」の意味・わかりやすい解説

張勉
ちょうべん
Chang Myǒng

[生]光武3(1899).漢城
[没]1966.6.4.
韓国の政治家。 1925年マンハッタン大学卒業。法学博士号を取得して帰国後,キリスト教関係の事業に従事。 48年制憲国会議員,49年初代アメリカ駐在大使に就任。 51年首相となったがイ・スンマン (李承晩) 大統領と衝突し辞任。 55年申翼煕らとともに民主党を組織し,野党指導者となった。 56年第3代大統領選挙で自由党のイ・スンマン大統領のもとで野党出身副大統領に当選。就任後もイ政権の政策を非難し,60年4月学生革命で副大統領を辞任。8月内閣責任制第二共和国首相に就任したが,翌年の五・一六軍事革命で迅速に対応できず,結果として革命を成功させてしまう。内閣は総辞職。 62年反革命事件容疑で懲役 10年の判決を受けたが,65年追放解除。

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世界大百科事典(旧版)内の張勉の言及

【大韓民国】より

…しかし政権永久化のために,大統領選出方法の国会議員による間接選挙から国民による直接選挙への変更,大統領任期の3選禁止条項の撤廃等の憲法改定を強引に行ったことが,かえって民衆の不満を集積させ,経済的危機を背景としつつ60年の学生を中心とする四月革命によって李政権は崩壊した。代わって成立した第2共和国では,李独裁体制への批判から,大統領権限を大幅に縮小した責任内閣制に転換し,李政権時代の野党(民主党)を基盤とする張勉政権(尹潽善大統領)が登場したが,四月革命を生起させた民衆のエネルギーは張政権の規制を乗りこえ,民主化と統一を求める運動は空前の高揚を示した。
[朴政権から全政権へ]
 こうして南北分断状況に新たな局面が開かれるかにみえたとき,61年5月16日に軍事クーデタ(五・一六クーデタ)が勃発し,軍人を主体とする朴正熙政権(第3共和国)が成立した。…

※「張勉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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