四倉村(読み)よつくらむら

日本歴史地名大系 「四倉村」の解説

四倉村
よつくらむら

[現在地名]いわき市四倉町

さかい川河口、太平洋に面し、北は田之網たのあみ村、南は新田にいだ村、西は戸田とだ村。村内を浜街道が通り宿場であった。古くは田戸たどに諏訪社・海嶽かいがく寺などや人家があったが、のち当地に移り町を開いたという。文明一六年(一四八四)八月二三日の願文写(熊野那智大社文書)に「同国 四ツくら きやうふの公」とみえる。天文(一五三二―五五)初年と推定される一一月二七日の伊達稙宗書状(岡本元朝家蔵文書)に「去秋至于四倉張陣」とみえ、相馬氏の兵が岩城氏領へ攻め入っている。磐城郡に属した。近世領主の変遷は磐城平藩領から延享四年(一七四七)以降幕府領。文禄四年(一五九五)の四郡検地高目録では高五四九石余。慶長一三年(一六〇八)の岩城領分定納帳(内藤家文書)では高八二六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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