日本歴史地名大系 「田戸村」の解説
田戸村
たどむら
田戸村
たどむら
田戸村
たどむら
田富とも記された。文永六年(一二六九)一二月九日の八幡宮鳥居造立配分状に「柱一本 番木一 片寄 衣谷 田富 富田 寄合可被取出」とみえる。それ以前の元久元年(一二〇四)九月一〇日の八幡宮領好島庄田地目録注進状写に田戸次郎の名がみえている。文永一一年八月六日の八幡宮鳥居作料等配分状案では、田富は鳥居作料一〇〇文と番匠の食料一日分を負担している。建武元年(一三三四)九月七日の八幡宮造営注文案に「一神子屋伍間内 三間田富村地頭小三郎入道役所也」とみえる。永徳四年(一三八四)八月日の好島東庄放生会祭礼役注文(以上飯野八幡宮文書)に「田富村地頭領家寄合之 舞殿五間之内三間田富村分并流鏑馬相撲一番領家分大瓶并十二合」とあり、田富村の地頭方・領家方共同で舞殿三間分と流鏑馬・相撲の奉納があり、領家方にはさらに大瓶と酒一二合が課せられている。
田戸村
たどむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報