改訂新版 世界大百科事典 「大須賀氏」の意味・わかりやすい解説
大須賀氏 (おおすがうじ)
中世下総の豪族。平姓千葉氏族。千葉介常胤の四男胤信から始まる。胤信は源頼朝の奥州征伐に際して先鋒を,畠山重忠討滅戦に際して後陣を務めた。子孫は下総国香取郡大須賀保(現千葉県成田市,旧大栄町)を根拠に千葉六党の一つとして活躍。陸奥磐城郡好島荘紙谷郷にも所領をもつ。胤信の孫胤氏は鎌倉幕府の命により宝治合戦(1247)に連座した千葉秀胤を上総一宮に攻め滅ぼした。南北朝・室町時代に千葉宗家は衰えたが,千葉一族一揆中の有力者として守護代を務めるなどして活動,上杉禅秀の乱に際しては禅秀側に属し,1416年(応永23)10月千葉一門中として鎌倉米町表に出陣,40年(永享12)3月結城合戦に際しては大須賀越後守が関東公方の復活を策して結城側に参戦した。55年(康正1)の千葉氏内争に際しては東常縁側の一勢力として活動した。大栄町松子,助崎に居城址がある。伊能の宝応寺には歴代の墓があり,吉岡の大慈恩寺は胤氏が中興した。1590年(天正18)豊臣秀吉の小田原攻めのとき,北条氏と運命を共にする。一族中の康高は徳川家康に仕え,遠江横須賀3万石の城主となり,松平氏を賜った。のち忠次のとき1607年(慶長12)本領横須賀5万5000石を領したが,15年(元和1)榊原氏を継ぎ絶家。
執筆者:小笠原 長和
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