改訂新版 世界大百科事典 「四平山遺跡」の意味・わかりやすい解説
四平山遺跡 (しへいざんいせき)
Sì píng shān yí jī
中国遼寧省大連市営城子にある新石器時代晩期の墳墓群。1941年に日本学術振興会によって発掘された。遼東半島の先端の黄竜尾半島の渤海に面する四平山(192m)の南北2峰の稜線上に分布する積石塚群で四平山石塚ともよばれる。その中の22基の石塚が調査された。35号墓は全長18.25mで,石灰岩の岩盤の上に,同質の割石を石垣状に2~7段に方形に積み上げ,その内部は4区に分かれて竪穴式石室をもっている。36号墓は全長120mで,内部は24区に分かれ竪穴式石室を内部主体としている。副葬品には在地系の褐色土器,山東竜山文化の影響を受けた卵殻黒陶(杯,豆(とう),双耳壺,缶),紅陶鬹(き),玉器などがあり,その生活地として南方の低地にある文家屯貝塚が考えられている。副葬の三環足器,卵殻陶は長海県大長山島上馬石貝塚と共通し,小珠山中層文化(大汶口文化中期)の後を受けた小珠山上層文化に相当している。
執筆者:下条 信行
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報