しん‐ぎょう‥ギャウ【信行】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙
- ① 信実のある行為。誠実な行ない。〔後漢書‐儒林伝・下・高詡〕
- ② 仏語。教えを信じて行なうこと。鈍根の人はこれにより、利根の人の法行(ほうぎょう)に対する。
- [初出の実例]「信行の機の善と、法行の機の善と、はるかにことなり」(出典:正法眼蔵(1231‐53)諸悪莫作)
- [その他の文献]〔魏書‐釈老志〕
- ③ 仏語。浄土教で説く、信心と称名念仏。
- [初出の実例]「由二斯信行一、必可三超二証大涅槃一故、曰二真仏弟子一」(出典:教行信証(1224)三)
- [ 2 ] 中国、北宋・隋代の僧。三階教の開祖。河北魏州の人。末法思想の影響を強く受け、時機相応の教えとして三階教を開創。勅命により長安に招かれ、真寂寺に住して宣布に努めた。著に「対根起行法」「三階仏法」などがある。(五四〇‐五九四)
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普及版 字通
「信行」の読み・字形・画数・意味
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信行
しんぎょう
(540―594)
中国隋(ずい)代の僧。三階教(さんがいきょう)の開祖。敬称は三階禅師。魏州(ぎしゅう)(河北省)の出身。名門の王氏の家に生まれ、幼いころから繊細で慈悲深く、4歳のとき、泥にはまった牛車を引こうとして苦しんでいる牛のようすを見て泣きやまなかったという。若くして出家し、『華厳経(けごんきょう)』など諸経論を広く学び、時代にあった教えを追求してついに三階教を開創した。のち、相州(河南省)法蔵寺において具足戒(ぐそくかい)を捨て、衣一枚をまとい、1日一度の食事をとり、労働に従事し、恵まれない者への供養(くよう)を行い、僧侶(そうりょ)と在俗者を区別なく礼拝(らいはい)した。589年(開皇9)勅命によって長安の都に入り、僕射(ぼくや)(宰相(さいしょう))の高穎(こうえい)に招かれて真寂寺(しんじゃくじ)に住して三階教を広め、5年後、同寺に没した。この間、長安には化度(けど)寺、光明(こうみょう)寺、慈門(じもん)寺、慧日(えにち)寺、弘善(こうぜん)寺の5寺が置かれるなど、三階教教団は急速に勢力を拡大した。しかし、600年に文帝(楊堅(ようけん))によってその流行が禁止されて以後しばしば弾圧され、宋(そう)代の初めまでにほぼ滅亡した。著書(講義録)に『対根起行法(たいこんきぎょうぼう)』32巻(あるいは36巻とも)、『三階仏法』4巻など多数がある。
[木村清孝 2017年2月16日]
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信行 (しんぎょう)
Xìn Xíng
生没年:540-594
中国,北斉から隋にかけて活躍した傑僧で,三階教の開祖。出家ののち,はじめは北斉の都,鄴(ぎよう)(現,河北省臨漳県)で禅を修めたが,戒律生活の独善さに疑問をもち,末法思想の強い影響を受けて,583年(開皇3),末法時代の鈍根衆生の救済法として無尽蔵行を提唱した。これによって隋の宰相高熲(こうけい)の帰依を受け,文帝に招かれて長安の真寂寺に入ってから,《対根起行法》《三階教法》など35部44巻を著し三階教の教義を完成した。
執筆者:川勝 義雄
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信行
しんぎょう
Xin-xing
[生]? 魏郡
[没]開皇14(594)
中国,隋の僧。三階教の祖で,三階禅師といわれる。広く経論を読み,持戒清浄で多くの道俗から帰依された。時は末法,処は穢土 (えど) ,人は凡夫の世であるから「一仏一法」の仏教では救えないというので,すべての法,すべての仏を信じる普法の仏教を主張し,三階教を広めたが,のちに官憲によって弾圧された。著書に『三階仏法』『対根起行法』などがある。
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信行【しんぎょう】
中国,隋代の僧。三階教(さんかいきょう)の開祖。山東(さんとう)省の人。末法観をうちたて,いかなる機根の者でも救済できるという,第三階の普法を説いた。また僧の資格としての具足戒も破棄した。
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信行 しんぎょう
?-? 奈良時代の僧。
法相(ほっそう)宗。宝亀(ほうき)(770-780)ごろの大和(奈良県)元興(がんごう)寺の学僧。「大般若経音義」「涅槃経音義」など音義に関する著作をのこした。
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世界大百科事典(旧版)内の信行の言及
【三階教】より
…中国,北斉から隋にかけて活躍した僧[信行](しんぎよう)が開いた新興仏教の一派。三階宗,三階法あるいは普法宗(ふほうしゆう)ともよばれた。…
【末法思想】より
… 仏教復興政策のとられた隋代になると,北周の武帝による亡国と廃仏を同時に体験した旧北斉領内の仏教徒たちを中心にして,末法仏教運動が急速に展開する。この濁悪末世の時代にふさわしい教法として提唱されたのが,太行山脈の東側の河北省の地におこった信行の[三階教]と,太行山脈の西側の山西省におこった道綽(どうしやく)の[浄土教]であった。信行や道綽は,《大集月蔵経》の説く末法時を現今と読みとることによって,末法仏教つまり今の我々を救う仏教を提唱した。…
※「信行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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