四手藤村(読み)しでとうむら

日本歴史地名大系 「四手藤村」の解説

四手藤村
しでとうむら

[現在地名]土佐山田町繁藤しげとう北滝本きたたきもと

甫喜山ほきやま村の北西穴内あなない流域に位置し、南の曾我部川そがべがわ村との間にある甫喜ヶ峯や根曳ねびき峠を境に地勢・気候などが大きく変化する。産業も林業を中心とし、焼畑耕作による稗・粟・蕎麦などの栽培が多い。長岡郡に属し、肆手任・四手任などとも記すが、明治以降は繁藤と記される。古くは穂岐山ほきやま六名の一とされたが、寛文(一六六一―七三)頃にはその一つである北滝本村が当村の小村となり、甫喜山郷の一村とされた。

天正一六年(一五八八)の肆手任地検帳によれば、総地積四町五反二五代三歩。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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