日本歴史地名大系 「四部保」の解説 四部保しぶほ 鳥取県:八頭郡八東町四部保近世に四分保とよばれた地域、すなわち現八東町の日下部(くさかべ)・安井宿(やすいじゆく)・新興寺(しんごうじ)・小別府(こべふ)・茂田(もだ)・横田(よこた)から郡家(こおげ)町・船岡(ふなおか)町にかけてを領域としたとみられる中世の保。文保元年(一三一七)五月日付の二通の四部保雑掌成信申状案(「師守記」紙背文書。以下同文書は省略)に「因幡国四部保」とみえ、当保は大炊寮に「日別上(ママ)米」を貢上する便補の保として成立した。当保の一分地頭で、六波羅探題に代々仕えた波多野氏の一族である波多野弥五郎・同六郎・同六郎四郎・同孫四郎入道らや、同じく六波羅奉行人斎藤氏の一族である斎藤右近大夫(基有)・同舎弟左衛門大夫基任・同基世・同帯刀左衛門尉基明らは、年貢を年々抑留し続けていた(文保元年一二月日雑掌成信申状案など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by