百科事典マイペディア 「国会放火事件」の意味・わかりやすい解説
国会放火事件【こっかいほうかじけん】
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…党は中部ドイツやルールなど有力工業地帯に拠点を持ったが,労働組合や工場での足場が弱く,その活動力も結局社会民主党の壁を突破できなかった。 ナチス政権成立後,33年2月国会放火事件が起きると,ナチスはこれを共産党の責に帰して弾圧を開始,テールマンをはじめ,有力活動家を逮捕,投獄し,3月には党そのものも非合法化した。党指導部はパリ,次いでモスクワに逃れ,35年ピーク,ウルブリヒトらの指導の下に人民戦線戦術に転換したが,ドイツでは残存した党員グループが独自に反ナチス活動を遂行,大きな犠牲を払った。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」