ワイマール憲法(読み)ワイマールけんぽう(英語表記)Weimar Verfassung

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワイマール憲法」の意味・わかりやすい解説

ワイマール憲法
ワイマールけんぽう

ワイマール共和国憲法。 1918年のドイツ革命によりドイツ帝国が崩壊,翌 19年2月に国民議会が開かれ,議会は「暫定的国権に関する法律」を制定して憲法制定権を獲得,H.プロイスが起草した憲法草案を審議し,大幅に修正したのちに可決した。これが「1919年8月 11日のドイツ国憲法」 Die Verfassung des Deutschen Reichs vom11 August 1919であり,その国民議会の開会地にちなんで一般にワイマール憲法と呼ばれている。前文と 181ヵ条の本文とから成り,本文は2編に分けられて第1編は「ライヒ (連邦) の構成および任務」で第2編は「ドイツ人の基本権および基本義務」であった。これは,近代的憲法は国家の統治機構と権利章典とを定めたものでなければならないとの理念をそのままに具体化したものである。この憲法の特色は次のような点にある。 (1) 連邦制存続。先のビスマルク憲法の連邦制を継承したが,プロシア優位と各支分国 (ラント) の権限とは弱められた。そして,ラントを代表する機関としてのライヒ参議院 Reichsratを設け,立法および行政に参加する権限を与えた。 (2) 国民主権の採用。前述の帝制を規範化し,「ドイツ国は,共和国体とする。国権は国民から発する」 (1条) と定め,国民の直接選挙による大統領をおき,元首で最高行政機関とした。 (3) 民主主義的諸制度の広範な導入。ライヒ議会 Reichstagなどの選挙における完全な普通,平等,直接,秘密の原則の保障,比例代表制の採用,国民票決,国民発案などの直接民主制度の大幅な導入などを行なった。 (4) 社会権的人権の保障。第2編において国民の基本権の保障についての 50ヵ条をこえる規定を設け,法のもとの平等の原則を認め,また伝統的な自由権を保障するほか,プログラム規定としてではあるが社会主義的な生存権的基本権を定め,その後の世界各国の憲法の先駆となった。しかし,その後のナチスの台頭により,大統領の緊急命令発布権 (48条) に基づいて出された 33年2月の「国民および国家を保護するための大統領令」は国民の自由を大幅に制限し,さらに同年3月の「国民および国家の困難を除去するための法律」 (いわゆる授権法 ) はこの憲法をまったく形骸化してしまった。そしてドイツは崩壊へ向かった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワイマール憲法」の意味・わかりやすい解説

ワイマール憲法
わいまーるけんぽう
Weimar Verfassung

1919年に公布されたドイツ共和国憲法。第一次世界大戦後のドイツ革命によってドイツ帝政が崩壊したのち、普通・平等・比例選挙によって選ばれた国民議会が1919年7月31日に議決し、翌8月1日に公布された。このときの国民議会がワイマールで開かれたのでこの名がある。ワイマール憲法はビスマルク憲法と異なり、民主主義の原理のうえにたったドイツ国民の強い統一を指導理念とし、さらに社会国家的色彩をもつ憲法で、その後の世界の民主主義諸国に強い影響を与えた。

[池田政章]

特色

国民主権主義に立脚し、普通・平等・直接・秘密・比例代表の原理に基づいた選挙による議院内閣制を採用しながら、同時に若干の直接民主制を認め、他方、19世紀的な自由主義に基づきながら、20世紀的社会国家の立場をとっている。所有権の義務性を認め、人間に値する生存(生存権)を保障しており、それらの点で20世紀民主主義憲法の典型とされる。この優れたワイマール憲法も1933年のヒトラー政権による「授権法」をはじめとする一連の立法によって形骸(けいがい)化され、事実上廃止された。

[池田政章]

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