日本歴史地名大系 「国光村」の解説 国光村くにみつむら 石川県:鳳至郡柳田村国光村[現在地名]柳田村国光村域東端を町野(まちの)川が北流し、南東は石井(いしい)村、西は柳田村。村内に家中(いえなか)・小寺(こでら)・梅風呂(うめふろ)の字名があるという(鳳至郡誌)。正保郷帳では石井村と一括して高付される。承応三年(一六五四)の村御印では高二一二石余、免四ツ三分五厘(能登奥両郡収納帳)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高二三二石、免五ツ二分、小物成は山役七二匁、鳥役一匁(出来)、漆役二匁がある(三箇国高物成帳)。宝暦八年(一七五八)の宇出津先組廻村覚書(富山大学図書館蔵)によれば家数二一(百姓一八・頭振三)・人数一一九。 国光村くにみつむら 福岡県:浮羽郡吉井町国光村[現在地名]吉井町若宮(わかみや)若宮村の南、筑後川中流左岸の微高地にあり、日田街道が通る。本高は六四石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高九〇石・役高一二四石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高一二六石、文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田五町四反余・開田一反余・畑田一反余・畑二町五反余・居屋敷一反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by