国正村(読み)くにまさむら

日本歴史地名大系 「国正村」の解説

国正村
くにまさむら

[現在地名]岡崎市国正町

占部うらべ(用水)右岸に位置し、西は上三かみみ村、南はなか村、北は坂左右さかそう村に接する。かつて碧海郡占部郷に属し、のち付近の正名しような村・定国さだくに村・中村とともに分村独立した。慶安二年(一六四九)検地では村高三四八石余、うち水田一九三石余・畑一五五石余とある。岡崎藩領山方手永に属し、享和二年書上によると人別二五〇人、うち男一二八・女一二二とある。


国正村
くにまさむら

[現在地名]加西市国正町

田屋たや村の東、播但中央山地の南東麓に位置する。北は奥山寺おくさんじ村、東は加東かとう下滝野しもたきの(現滝野町)。当地の開発は平安時代末期から中世にかけて行われたといわれ、国正という名主の開いた地と伝える。文禄四年(一五九五)八月一七日の豊臣秀吉知行方目録(木下家文書)に「くにまさ村」とみえ田屋村と合せて五二一石とある。慶長国絵図にも村名がみえる。江戸時代は初め姫路藩領、正保二年(一六四五)赤穂藩領となるが(正保郷帳など)、元禄一四年(一七〇一)上知、同一五年から下野烏山藩領となり(享保一一年「田井村明細帳」山田町有文書など)、享保一一年(一七二六)幕府領となる(同一三年「田井村明細帳」同文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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