日本歴史地名大系 「田屋村」の解説
田屋村
たやむら
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慶長検地高目録によれば高七九三石余、小物成五升四合。天保郷帳では村高は八八一石余で、一〇〇石近く増加しており、紀ノ川北岸地域を中心とした開発によるものと考えられる。山口組に属し、「続風土記」によると家数四〇、人数一九四。
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嘉永元年(一八四八)の田屋村田畑質流并下作高内調帳(中沢有斐氏蔵)によれば持高(預高)は五俵未満一二人、一〇俵未満一〇人、二〇俵未満一一人、三〇俵未満三人、四〇俵未満二人、四〇俵(持高一〇石)一人、総計四六二俵(四〇人)、下作高は全部で二三八俵(二九人)で、このうち六二俵が地主分、小作分一七六俵とされている。
田屋村
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出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報