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土岐持頼 とき もちより

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

土岐持頼 とき-もちより

?-1440 室町時代の武将。
土岐康政(やすまさ)の子。世保(よやす)氏を称した。伊勢(いせ)(三重県)守護。正長(しょうちょう)元年小倉宮(おぐらのみや)を奉じて反幕府の兵をあげた伊勢国司北畠満雅(みつまさ)を討つ。のち将軍足利義教(よしのり)の嫌疑をうけ,一揆(いっき)鎮圧のため出陣中の大和(奈良県)で攻められ,永享12年5月16日自害した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

土岐持頼

没年:永享12.5.16(1440.6.15)
生年:生年不詳
室町時代の武将。伊勢国(三重県)守護。康政の子。刑部少輔,大膳大夫。世保氏を称す。応永25(1418)年,父の死没以前に伊勢守護を継承。同31年,院の女房との密通事件が露顕して逐電,一時,伊勢守護を解任されたが,同34年罪を許され,翌正長1(1428)年北畠満雅が小倉宮を奉じて挙兵した際,伊勢守護に再任された。この中央政界復帰には三宝院満済の後援があったらしい。再任後,直ちに美濃小島を経て伊勢に下り,満雅やこれにくみした国人を討って伊勢を平定した。以後,強引に伊勢の荘園押領を進める一方,将軍足利義教の意を迎えることに努め,山門攻めなどにも従軍したが,義教には冷遇され,永享12(1440)年5月,国人一揆鎮圧のため大和三輪山麓に滞陣中,義教の命を受けた細川氏,長野氏らに攻められて自害した。なお,土岐氏の主流は祖父康行の代に交替していたが,いまだ庶流の多くは持頼に従っており,持頼が土岐氏惣領とみなされていたようである。

(谷口研語)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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