後藤祐乗(読み)ゴトウユウジョウ

デジタル大辞泉 「後藤祐乗」の意味・読み・例文・類語

ごとう‐ゆうじょう〔‐イウジヨウ〕【後藤祐乗】

[1440~1512]室町後期の装剣金工家。美濃の人。名は正奥。通称、四郎兵衛足利義政に仕え、入道して祐乗と号した。目貫めぬき小柄こづかこうがい三所物みところものの意匠・技法に新機軸を打ち出し、後藤家彫(家彫)を創始。精巧で格調高い作風により、子孫代々将軍家の御用を勤めた。

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精選版 日本国語大辞典 「後藤祐乗」の意味・読み・例文・類語

ごとう‐ゆうじょう【後藤祐乗】

  1. ごとうしろべえ(後藤四郎兵衛)[ 一 ]

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改訂新版 世界大百科事典 「後藤祐乗」の意味・わかりやすい解説

後藤祐乗 (ごとうゆうじょう)
生没年:1440-1512(永享12-永正9)

室町時代の金工。78歳で没とする説もある。通称を四郎兵衛,名を正奥といい,のち剃髪して祐乗と号した。美濃国の出といわれ,足利義政に仕える武士であったが,辞して装剣専門の金工となった。作品は小柄(こづか),笄(こうがい),目貫(めぬき)のいわゆる三所物(みところもの)が主であり(刀装),作風に美濃彫の影響が強く見られる。題材は獅子と竜が最も多く,ほかに虎,濡烏(ぬれがらす),三番叟,能道具などがあり,赤銅,金などの地金を主とし,すべて高肉彫で表している。代表作には《獅子造小サ刀》《濡烏図二所物》《俱利迦羅竜三所物》などがある。

 祐乗を祖とする後藤家は装剣金工を家業として江戸時代末期までさかえ,宗家として重きをなした。足利,豊臣,徳川家などの御用をつぎつぎとつとめたところから後藤家の作品は家彫と呼ばれ,町彫とは格式を異にした。その作品は各代を通じて,品位はあるものの格式と伝統を重んじた立場上,地金や題材,彫法に制約があり,独創性,個性に欠けるきらいがある。とくに江戸中期以降は形式にとらわれすぎ,自由な意匠や飛躍的な技術の発展はみられなかった。これに対して,同じころ町彫という自由な感覚で製作する一派があらわれ,その繁栄に圧倒されるに至った。だが,町彫の祖といわれる横谷(よこや)宗珉も,もともとは後藤家7代顕乗の三男である殷乗門下で,後藤家の流れをくんでいる。後藤宗家は祐乗以後,宗乗-乗真-光乗-徳乗-栄乗-顕乗-即乗-程乗-廉乗-通乗-寿乗-延乗-桂乗-真乗-方乗-典乗と17代続いた。祐乗,宗乗,乗真は上三代(かみさんだい)といわれ,特に武家の間に作品が珍重されている。また5代後藤徳乗豊臣秀吉に用いられ,大判金の製作に携わり,その弟子で4代光乗の養子となった庄三郎光次(後藤庄三郎)は秀吉の命により江戸の徳川家康のもとで小判金鋳造に従事し,後に金座の頭人として大きな権勢をもった。また分家分派は14家に及び,これらを脇後藤と称しており,その中では加賀後藤が最も栄え,金沢で製作を続けた。幕末には京の七郎右衛門家に一乗(1791-1876)が出て,一世の名工として名をあげ,後藤家の掉尾を飾っている。
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朝日日本歴史人物事典 「後藤祐乗」の解説

後藤祐乗

没年:永正9.5.7(1512.6.20)
生年:永享12(1440)
室町時代の刀装金工家。刀装金工の宗家,後藤家の始祖。後藤基綱の嫡子として,美濃国(岐阜県)に生まれたと伝えられる。幼名を経光丸,通称は四郎兵衛,正奥と諱した。祐乗の名は剃髪入道後の法号とされる。はじめ室町幕府8代将軍足利義政の側近に仕え,のちにこれを辞してもっぱら装剣金工を業とした。足利家より近江国(滋賀県)坂本本郷内に300町を支給され,後花園天皇のときに法印の勅許を受けた。作風は出身地の美濃彫りの影響を強く受け,これに狩野派絵画の図様などを取り入れ,格調高い,いわゆる後藤風と称される装剣金工の伝統の基礎を作りあげた。作品の種類は,目貫,笄,小柄からなる三所物が主で,題材は獅子や竜を好み,ほかに虎,濡烏,三番叟,能道具,花卉などもある。地金は金や赤銅など良質で高価な材質を用い,魚々子地に高彫りで図柄を表した。後世,その技量は後藤家の祖として半ば伝説化するにいたった。祐乗の作品には自署有銘のものは皆無で,有銘ものは後世の極め銘である。現存する代表作には重要文化財「獅子牡丹造小さ刀拵」「倶利迦羅三所物」「濡烏三所物」「眠布袋二所物」(いずれも前田育徳会蔵)などがある。2男1女があったが,長男は早世したため,次男宗乗が後藤家2代目を継いだ。京都蓮台寺に葬られたと伝えられる。 この祐乗を祖とする後藤家は,祐乗‐宗乗‐乗真‐光乗‐徳乗‐栄乗‐顕乗‐即乗‐程乗‐廉乗‐通乗‐寿乗‐延乗‐桂乗‐真乗‐方乗‐典乗と幕末まで脈々と17代続いた。この間,足利家をはじめ豊臣家,徳川将軍家の御用を務めたことから,特に家彫りと称され,一般の町彫師とは区別してその格式が重んじられた。そのため,代々の後藤家の作品は,格式や伝統など家彫りとしての制約から,地金や図柄が固定化し,一方で作品そのものの創造性や個性の面から画一的なものに陥ってしまった感も否めない。なお,祐乗,宗乗,乗真の初期の3人は,特に上三代と呼ばれて武家の間で好まれた。

(加島勝)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「後藤祐乗」の意味・わかりやすい解説

後藤祐乗
ごとうゆうじょう
(1440―1512)

室町後期の金工。後藤家の祖。四郎兵衛正奥と称す。美濃(みの)国(岐阜県)の人。足利義政(あしかがよしまさ)の近侍となったが、彫金に優れていたので将軍から刀剣装具を彫刻することを命じられ、祐乗と名のり法橋(ほっきょう)に叙せられ、さらに後花園(ごはなぞの)天皇から法印に叙せられたと伝える。目貫(めぬき)、小柄(こづか)、笄(こうがい)の三所物(みところもの)の制作を専業とし、銘のある作品はないが、美濃彫の影響を受けて赤銅地金を高彫りにして、うっとり色絵(金銀の薄板を素地の彫刻文様の上にかぶせる技法)を創案した。後人の鑑定による代表作に、獅子牡丹(ししぼたん)造小刀拵(ちいさがたなこしらえ)、濡烏(ぬれがらす)図三所物(ともに東京・前田育徳会)などがある。

[小笠原信夫]

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百科事典マイペディア 「後藤祐乗」の意味・わかりやすい解説

後藤祐乗【ごとうゆうじょう】

室町時代の金工家。通称四郎兵衛。美濃彫から出て一家を成した。作品は小柄(こづか),(こうがい),目貫(めぬき)などに限られ,赤銅や金を用いて,竜,獅子(しし)などを高彫にしたものが多い。将軍足利義政に仕え,以後後藤家は代々,織田・豊臣・徳川家に用いられ,幕末まで続く。祐乗,2代宗乗,3代乗真は,上三代(かみさんだい)と称し,武家の間で珍重された。
→関連項目家彫

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後藤祐乗」の意味・わかりやすい解説

後藤祐乗
ごとうゆうじょう

[生]永享12(1440).美濃
[没]永正9(1512).京都
室町時代中期の装剣金工。後藤派の始祖。基綱の子。幼名は経光丸,名は正奥,通称は四郎兵衛,剃髪して祐乗を名のる。足利義政に仕え,法橋を経て法印に叙せられた。それまでの主流であった鉄の代りに,赤銅や金を素材に用い,彫法や意匠にも新機軸を生み出した。作品は小柄 (こづか) , (こうがい) ,目貫 (めぬき) など刀の小道具に限られ,これが後藤派の伝統となった。代表作に『倶利迦羅竜三所物 (くりからりゅうみところもの) 』『獅子牡丹造小さ刀拵 (かたなこしらえ) 』の総金具がある。 (→金座・銀座 )  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「後藤祐乗」の解説

後藤祐乗
ごとうゆうじょう

1440~1512

装剣金工の後藤家の始祖。美濃国生れ。足利義政の側近として仕えたが,のちに辞して装剣金工に転じたと伝えられる。義政の御用を勤め,近江国坂本に領地300町を与えられた。作品は小柄(こづか)・笄(こうがい)・目貫(めぬき)の三所物(みところもの)がおもで,金や良質の赤銅の地金に竜・獅子などの文様を高彫で表したものが多い。祐乗の彫刻は刀装具という一定の規格のなかで,細緻な文様をほどこし装飾効果をあげるもので,以後17代にわたる後藤家のみならず,江戸時代の金工にも大きな影響を及ぼした。代表作に前田家伝来の黒漆小さ刀(ちいさがたな)の金獅子牡丹文金具がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤祐乗」の解説

後藤祐乗 ごとう-ゆうじょう

1440-1512 室町-戦国時代の装剣金工。
永享12年生まれ。金工後藤家の祖。将軍足利義政につかえる。三所物(みところもの)とよばれる目貫(めぬき),笄(こうがい),小柄(こづか)の製作に専念,美濃(みの)彫に独自の工夫をこらした。法印。永正(えいしょう)9年5月7日死去。73歳。美濃(岐阜県)出身。名は正奥。通称は四郎兵衛。代表作に「獅子牡丹(ししぼたん)造小さ刀拵(こしらえ)」。

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旺文社日本史事典 三訂版 「後藤祐乗」の解説

後藤祐乗
ごとうゆうじょう

1440〜1512
室町時代の金工。金工後藤家の祖
美濃の人で,8代将軍足利義政に仕え,のち刀装金具に新機軸を創案。目貫・小柄 (こづか) の彫金作品を残した。

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世界大百科事典(旧版)内の後藤祐乗の言及

【室町時代美術】より


[工芸]
 唐物の精巧さに刺激されて伝統的な工芸の分野も,中期から後期にかけ,技巧がいちだんと進んだ。金工では後藤祐乗(ゆうじよう)が刀剣の装飾に高肉彫の技巧をこらして義政の庇護を受け,その家系の仕事はのちに家彫と呼ばれて江戸時代にいたるまで武将の支持を得た。蒔絵は初期には松楓蒔絵手箱(熊野速玉大社)にみるように,のびやかなやまと絵的文様を特色としていたが,義政の時代には,文様・手法が細密化され,高蒔絵を用いモティーフを浮彫様にあらわしたり,岩に宋元画の筆法をうつしたり,入念な細工となっている。…

※「後藤祐乗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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