朝日日本歴史人物事典 「土御門定通」の解説
土御門定通
生年:文治4(1188)
鎌倉前・中期の公卿。正二位内大臣。権臣源通親と後鳥羽上皇の乳母藤原範子(範兼の娘)の子。長兄通宗の猶子となりその家嫡に立てられた。建仁2(1202)年従三位,建保6(1218)年権大納言となる。後鳥羽上皇に近侍し,院方として承久の乱(1221)に参加。乱後,出仕を止められたが,のち許された。その後大殿九条道家の主催する議定で活躍。有識者として知られた。嘉禎2(1236)年に内大臣となったが翌年辞任。仁治3(1242)年四条天皇が急逝すると,北条泰時の姉妹を妻に持つ定通が,幕府に強く働きかけて,土御門天皇の皇子邦仁(通宗外孫),すなわち後嵯峨天皇の即位を実現させた。定通は天皇の後見として内裏を管領した。寛元4(1246)年,後嵯峨の院政開始後は嫡子顕定を院の執事別当の地位につけたが,実際には彼が院中を統括した。
(秋山喜代子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報