日本歴史地名大系 「土穴村」の解説 土穴村つちあなむら 福岡県:宗像市旧宗像市地区土穴村[現在地名]宗像市土穴・栄町(さかえまち)・大谷(おおたに)・くりえいと一―二丁目釣(つり)川中流右岸に位置し、西は須恵(すえ)村。建長元年(一二四九)九月一七日、領家の西園寺実氏は藤原(武藤)為頼を土穴・稲本(いなもと)・須恵三ヵ村名主職に補任している(「西園寺実氏政所下文」宗像大社所蔵文書/鎌倉遺文一〇)。下文は宗像庄官等宛であり、三ヵ村は宗像庄に含まれていた。以降、正応三年(一二九〇)七月二二日の讃岐守惟宗某下文(同文書/鎌倉遺文二三)に至るまで稲本村・須恵村の二ヵ村とともに推移する(→稲元村)。建武四年(一三三七)七月一六日、室町幕府は武藤経頼(武藤頼俊の子)の子藤原氏女伊毛が安堵を訴えた亡父経頼の遺領土穴村地頭職について、知行の実否を調査するよう武藤貞法に命じている(「室町幕府安堵方頭人奉書」同文書/南北朝遺文(九州編)一)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by