土肥吉浜村(読み)どいよしはまむら

日本歴史地名大系 「土肥吉浜村」の解説

土肥吉浜村
どいよしはまむら

[現在地名]湯河原町吉浜よしはま吉浜福浦よしはまふくうら鍛冶屋かじや

南は相模湾、北部は南郷なんごう山・ほしヶ山・まく山などの山間部、東は福浦村、西は鍛冶屋村と接し、海沿いを熱海道が通る。土肥の地名は「万葉集」に「とひ」、「吾妻鏡」に「土肥辺」「土肥郷」が見える(→土肥郷。永禄九年(一五六六)七月一二日の北条家朱印状写(県史三)に「本光院殿御施餓鬼銭 弐貫文 土肥吉浜年貢ニ可出」とあり、翌年一〇月一二日の北条氏康朱印状写(同書)によれば同一一年より上中かみなか村の岩倉いわくら(現足柄上郡中井町)に替わるまで二ヵ年分の小田原本光ほんこう寺施餓鬼銭をあてられている。天正三年(一五七五)一一月五日の良整(安藤豊前入道)副状写(同書)に小田原北条氏より保善ほぜん(現静岡県熱海市)への寄進分として「棟別五間、此内二間吉浜」とある。また同一八年四月日の豊臣秀吉掟書(静岡県長津文書)に伊豆国として「土肥郷」がみえる。

近世は小田原藩領。寛永初期の小田原領西筋村々高ノ帳によれば村高五九七石余、家数一四六、うち名主二・定夫一・本百姓四六(うち鉄砲四)・こんや二・わき者九五とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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