福浦村(読み)ふくうらむら

日本歴史地名大系 「福浦村」の解説

福浦村
ふくうらむら

[現在地名]湯河原町福浦・吉浜よしはま福浦吉浜ふくうらよしはま福浦鍛冶屋ふくうらかじや

南は相模湾、東は真鶴まなづる(現真鶴町)、西・北は土肥吉浜どいよしはま村と接し、北を熱海道が東西に通る。近世は小田原藩領。正保国絵図に「荒井」とあり、もとは荒井あらい(新井村)と称した。天保四年(一八三三)の村明細帳(露木文書)によれば藩領内に同名村があるために、貞享三年(一六八六)藩命によって改めたという。寛永初期の村高一九石余(小田原領西筋村々高ノ帳)、貞享三年の新井村明細帳(県史五)には水田の記載はなく、高五八石余は畑分のみであり、「所仕来家業之儀、耕作并漁渡世専一ニ仕、石切其外江戸廻し生魚等之類売買仕候」村であった(「福浦村浦々改書上帳」県史九)。蜜柑八本(うち苗木四本)を有し、諸役には正月の飾海老・鶴の尾羽などがある(新井村明細帳)

漁業は年間を通じてなされ、「風土記稿」によれば鮪・鰹・鯛・・鰺・鯖・比目魚の類をとるといい、一〇月から三―四月までは海老網、八―九月は四艘張網でうつわ、四月から九月はぼうけ網でむろ鰺、一一月から二月・三月は手繰網で小魚をとる(新井村明細帳)


福浦村
ふくらむら

[現在地名]富来町福浦港ふくらみなと

能登金剛のとこんごうとよばれる日本海の海食崖海岸の南端、リアス式の深い入江になった福浦湊を中心に発達した村。古代、福良ふくら津は渤海使の出航地であった。中世の直海のうみ保内北浦にあたるとみられ(志賀町の→直海保、近世には北前船の寄港地として繁栄した。正保郷帳の高二七三石余、田八町九反余・畑九町二反余、免四ツ七歩四厘。寛文一〇年(一六七〇)の村御印によれば高二八七石、免六ツ、小物成は山役三〇〇目・苦竹役二五匁、鳥役四匁(出来)・猟舟櫂役一二〇目(うち出来六〇目)・外海船櫂役一六八匁(ほかに退転四二匁)・間役四貫三四九匁余(うち出来六〇九匁余)であった(三箇国高物成帳)。元禄九年(一六九六)の検地では地不足で一一一石の引高があった(「六拾四ヵ村明細記」安成寺文書)。天保年間(一八三〇―四四)の村明細では高二〇二石、家数一六四(うち頭振一〇四)・人数六二九、馬四、稼は廻船宿・日雇・磯猟・渡海船業・舟水主。


福浦村
ふくうらむら

[現在地名]佐井村長後ちようご

下北半島西端部のほぼ中央、大作だいさく山・縫道石ぬいどういし山に発する福浦川の河口に位置し、津軽海峡に面する。北にしもノ崎、南に福浦崎(通称上ノ崎)が突きだし、入江を形成する。北はなが浜を経て長後村、南はほとけヶ浦を隔てて牛滝うしたき村に接する。

雑書の寛文八年(一六六八)五月二三日条に「異国間村、奥戸村、佐井村、長後村(中略)福浦村、牛滝村へ〆六ケ所へ松前船弐拾壱艘」とある。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付に村名がみえ、寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」には高七・三石余で畑とある。


福浦村
ふくうらむら

[現在地名]赤穂市福浦

備前国和気わけ郡のうち。東は赤穂郡真木まき村と鳥打とりうち峠で連なり、西は和気郡寒河そうご(現岡山県日生町)播磨灘に面した南側以外の三方は連山。兵庫北関入船納帳によると、文安二年(一四四五)一一月一六日に小鰯二五駄を積んで兵庫北関に入港したむろ(現御津町)の船(船主は豊後屋)の船頭が福浦の長松であった。同じ豊後屋が船主である室の船は同年一月八日にも大豆二〇石を積んで入港しているが、この時の船頭は「福ら」の五郎太郎である。


福浦村
ふくうらむら

[現在地名]中里町福浦

岩木川右岸沖積平野のほぼ中央に立地し、東は八幡はちまん村、南は豊岡とよおか村、北東は今岡いまおか村に接する。

金木新田一八ヵ村の一つで、寛文五年(一六六五)今岡村から新岡弥惣その他が移り住んだと伝える(中里町誌)。享保一二年(一七二七)の村位は下で免は五ツ成であった(平山日記)。元文二年(一七三七)検地帳によれば、田方二六町四反五畝二歩、畑方一町五反七畝一八歩、田畑屋敷合せて二八町二畝二〇歩、村高一四一・九六石とある。


福浦村
ふくうらむら

[現在地名]芦北町女島めしま

きようの崎と長浜ながはま崎に囲まれた福浦のいちばん奥にある半農半漁村。福浦川の両側に集落があり、この川が現在芦北町と津奈木つなぎ町の境界で、芦北側を湯浦福浦ゆのうらふくうら、対岸を津奈木福浦とよぶ。地元では「ふくら」と発音する。「八代日記」天文二四年(一五五五)六月三〇日条に「つる木ふくらの舟、細江ニ着候」とある。寛永一六年(一六三九)の葦北郡地侍御知行割帳(徳富文書)に村名がある。湯浦手永に属し、延宝三年(一六七五)の葦北郡湯浦手永小村限御帳(芦北町誌)によれば男女八四、うち女三七、一五歳より六〇歳までの男二六人のうちに三人の郡筒が含まれ、竈数一一、馬四、五反帆一・三枚帆一、計二の船があった。


福浦村
ふくうらむら

[現在地名]古川市江合寿町えあいことぶきちよう一丁目・福浦

古川宿に近く、江合川南岸の水田地帯、北の江合川対岸は栗原郡桜目さくらのめ村・同沢田さわだ村、南は大柿おおがき村、東は江合村、西は宮袋みやぶくろ村と接する。元和九年(一六二三)二月一六日の伊達政宗領知黒印状(伊達家文書)によれば、「福浦西荒井久荒」で二貫七〇六文などが広田彦左衛門尉に与えられており、「五年かうや過候者、検地申請」と命じられている。


福浦村
ふくうらむら

[現在地名]津奈木町福浜ふくはま

八代海に半島状に突出た漁村で、津奈木手永に属し、南西は平国ひらくに村、東は湯浦手永の福浦村(現芦北町)に接する。地元では「ふくら」と発音する。寛永一八年(一六四一)の津奈木村小村切高物成人畜御帳(徳富文書)に「津奈木村内福浦村」とあり、高五八石五斗余、田数二町七反八畝余・畠数七反八畝余、真綿三匁・茶五匁、女八・男一五、うちろ手取(水夫)一、馬一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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