日本歴史地名大系 「土肥門川村」の解説
土肥門川村
どいもんがわむら
東は相模湾、北東の
近世は小田原藩領。近世初期の渡辺平右衛門大久保加兵衛連署手形(相州古文書)に「板橋村京こん屋方へ、毎年納申候分かめやく」の宛先として「門川」がみえるが、寛永初期の小田原領西筋村々高ノ帳によれば「門川堀ノ内共」として高三九一石余で、二一八石余(与四郎分)、五〇石余(欠字)、一二二石余(欠字)に三分している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報