在田村(読み)あいだむら

日本歴史地名大系 「在田村」の解説

在田村
あいだむら

[現在地名]清水町在田

丹生山地東部、現朝日あさひ町境の乙坂おつさか(芝摺山)東麓にあり、村の南東付近で天王てんのう川と和田わだ川が本流日野川に合して北流する。「越前国名蹟考」は有田村と記す。文明一〇年(一四七八)一二月二五日付の「越知山年中行事」(越知神社文書)の「彼公用ノ出口米分」のうちに「四斗有田」とみえる。享禄二年(一五二九)五月日付の大谷寺所々神領坊領目録(同文書)にも「御神楽料米銭成在所」に「四斗在田村」とみえる。

正保二年(一六四五)福井藩領から吉江藩領となり、延宝二年(一六七四)には再び福井藩領、貞享三年(一六八六)幕府領、明和元年(一七六四)三河国西尾藩領。


在田村
ありたむら

[現在地名]大江町字在田

西は夏間なつま村、東は常津つねづ村に接し、北は由良川を隔てて公庄ぐじよう村に相対する。有田ありたとも記した(天保郷帳)

旧語集に「有田村、初和田垣村」とあり、和田垣わだがき村とも称していたことが知れる。慶長検地郷村帳に高一三二・八八石「和田垣村」とみえ、享保三年(一七一八)の領中郷村高付には「在田村」と記す。以降も有田・在田を主にし、和田垣も用いられた。田辺藩領。

延享三年(一七四六)の郡中高究付覚によれば農家戸数二八。土目録でも高に変化なく、田方は一〇六・七七石、畑方は二六・一一石、運上のうちに撫網運上銀二匁、渋柿代銀六匁があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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