日本歴史地名大系 「地光寺跡」の解説 地光寺跡じこうじあと 奈良県:北葛城郡新庄町脇田村地光寺跡[現在地名]新庄町脇田葛城(かつらぎ)山麓、脇田(わきだ)集落付近に所在した古代寺院。脇田集落の西方、脇田神社の傍らに塔の心礎が存する。寺歴を確認する史料はなく、大正元年(一九一二)笛吹(ふえふき)字地光寺の畑地から、礎石や奈良朝時代の古瓦などが出土したことから、地光寺跡と命名した。地光寺を中心とし、大字脇田にかけて寺(てら)ノ前(まえ)・戌亥(いぬい)ノ角(ずみ)・寺西(てらにし)・地光寺畑(じこうじばたけ)・石段(いしだん)・墓山(はかやま)・大門(だいもん)などの小字が残る。脇田の念誦(ねんじゆう)院所蔵の国分尼葛城山施薬院慈光寺由緒によれば、天平六年(七三四)脇田村西端に施薬(せやく)院を建立、葛城山の一〇〇種の薬草を集め医療師を配し、貧病者を看病救療したと伝え、明応二年(一四九三)三月には本堂・施薬病処・中門・大門・三重塔などことごとく焼失したという(「新庄町史」など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報