日本大百科全書(ニッポニカ) 「地毗荘」の意味・わかりやすい解説
地毗荘
じびのしょう
備後国(びんごのくに)北部山間地帯の荘園。現在の広島県庄原(しょうばら)市の西部にあたる。立荘年代は不詳。本家(ほんけ)・本所(ほんじょ)として蓮華王院(れんげおういん)(三十三間堂)、安井宮(やすいのみや)の名がみえ、さらに荘内各郷の領家職(りょうけしき)をめぐって、鎌倉・室町期を通じて嵯峨(さが)千光寺(せんこうじ)、山門石泉院(さんもんせきせんいん)、浄蓮華院(じょうれんげいん)、その他の間で複雑な変遷と争いが続いたらしい。地頭(じとう)は相模(さがみ)の御家人(ごけにん)山内首藤(やまのうちすどう)氏で、鎌倉中期以降荘内の郷・村にそれぞれ一族を土着させている。15世紀末までは少額ながら年貢も京進(きょうしん)されたが、すでに荘園としてのまとまりは失っており、まもなく山内氏の小戦国大名化に伴いその下に各郷ごとに姿を消した。荘域内には山内氏の氏寺(うじでら)円通寺(えんつうじ)本堂(国指定重要文化財)などの文化財、中世末以来の民俗を伝える宮座(みやざ)による祭礼などが残る。
[山田 渉]
『佐々木銀弥著『荘園の商業』(1964・吉川弘文館)』