地蔵寺跡(読み)じぞうじあと

日本歴史地名大系 「地蔵寺跡」の解説

地蔵寺跡
じぞうじあと

[現在地名]大山崎町大山崎

天王てんのう山南麓、よど川右岸にあった臨済宗東福寺荘厳門派の寺院。延文二年(一三五七)友山士偲が開いた万年正続まんねんしようぞく院がその起源。友山は正安三年(一三〇一)山崎やまさき(現大山崎町)の生れ。幼くして京都東福寺に入って乾峰士曇について学び、嘉暦三年(一三二八)入元、貞和元年(一三四五)に至る一八年間中国にあって勉学し、帰国後嵯峨臨川さがりんせん(現京都市右京区)・甲斐浄居じようこ(現山梨県牧丘町)・京都安国寺を経て、万年正続院を開き、康安元年(一三六一)東福寺三二世住持となった。応安三年(一三七〇)(「東福友山和尚行状」友山録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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