乾峰士曇(読み)けんぽう・しどん

朝日日本歴史人物事典 「乾峰士曇」の解説

乾峰士曇

没年:康安1/正平16.12.11(1362.1.7)
生年弘安8(1285)
鎌倉末・南北朝時代の臨済宗の僧。諡号は広智国師。筑前博多(福岡県)の人。永仁6(1298)年,筑前承天寺の南山士雲について出家し,永く随侍したのち南山が開山した鎌倉崇寿寺の住持となり,その法を嗣いだ。建武4/延元2(1337)年東福寺の第17世となり,貞和3/正平2(1347)年に南禅寺の第20世となった。しばしば関東へも下向し,文和年間には建長寺(第33世),円覚寺(第25世)の両五山を兼住,延文2/正平12(1357)年には後光厳天皇の勅を承け,内裏で諸経を講義した。鎌倉時代から南北朝への政治的騒乱のなかで,京都と鎌倉とを往還して活躍した。<著作>『乾峰和尚語録(抜関要)』『見性義記』

(石井清純)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「乾峰士曇」の解説

乾峰士曇 けんぽう-しどん

1285-1362* 鎌倉-南北朝時代の僧。
弘安(こうあん)8年生まれ。臨済(りんざい)宗。博多承天(じょうてん)寺の南山士雲のもとで出家。のちその法をつぐ。高峰顕日明極楚俊(みんき-そしゅん)らにも師事。京都東福寺,南禅寺の住持をへて,文和(ぶんな)4=正平(しょうへい)10年鎌倉建長寺と円覚寺の住持をかねた。康安元=正平16年12月11日死去。77歳。筑前(福岡県)出身。別号に少雲。諡号(しごう)は広智国師。語録に「乾峰和尚語録」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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