朝日日本歴史人物事典 「坂井政尚」の解説
坂井政尚
生年:生年不詳
安土桃山時代の武将。右近将監,右近尉。織田信長の臣。初め美濃斎藤氏の臣であったとも清洲織田氏の臣であったともされるが未詳。永禄11(1568)年の信長の上洛では,近江箕作城攻め,山城勝竜寺城攻めなどで先陣の一将となる。同12年の伊勢大河内城攻め,元亀1(1570)年の越前朝倉氏攻め,近江小谷城攻め,続く姉川合戦にも一勢の将として従軍。同年11月25日,比叡山にこもった朝倉勢の退路を断つべく,近江堅田に派遣され,堅田衆と共に同地を固めたが,翌日,朝倉軍に攻められ,奮戦の末に戦死したという。ただし,『信長公記』では,元亀3年4月の河内交野城救援の織田軍に「坂井右近」の名がみえている。
(谷口研語)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報