デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坊門隆清」の解説 坊門隆清 ぼうもん-たかきよ 1168-1214 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。仁安(にんあん)3年生まれ。藤原信隆の子。母は平清盛の娘。元久元年従三位。承元(じょうげん)3年正三位,左兵衛督(さひょうえのかみ)となり,建暦(けんりゃく)元年参議にすすむ。異母兄の信清(のぶきよ)とともに坊門家をおこした。建保(けんぽ)2年2月7日死去。47歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「坊門隆清」の解説 坊門隆清 没年:建保2.2.7(1214.3.19) 生年:仁安3(1168) 鎌倉前期の公卿。参議正三位。修理大夫(贈左大臣従一位)坊門信隆と平清盛の娘との子。姉七条院(殖子,後鳥羽天皇の母)の側近。過度の飲酒により死亡したらしい。 (秋山喜代子) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by