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藤原信隆 ふじわらの のぶたか

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原信隆 ふじわらの-のぶたか

1126-1179 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
大治(だいじ)元年生まれ。右京大夫藤原信輔の子。母は伯耆守(ほうきのかみ)橘家光の娘。後白河上皇の近臣となり,平頼盛らと上皇の皇子(高倉天皇)を皇太子に擁立することをくわだて因幡(いなばの)守・右馬頭(うまのかみ)を解任される。ゆるされて伊予(いよの)守,修理大夫。仁安(にんあん)3年従三位。娘殖子(しょくし)は後鳥羽(ごとば)天皇の母。治承(じしょう)3年11月17日死去。54歳。贈左大臣従一位。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

藤原信隆

没年:治承3.11.17(1179.12.17)
生年:大治1(1126)
平安後期の公卿。正三位。後白河院の近臣で,七条坊門に住み七条修理大夫と号す。右京大夫信輔と伯耆守橘家光の娘との子。応保1(1161)年9月,平頼盛と平時忠が憲仁親王(高倉天皇)の東宮擁立を画策した事件に連座して右馬頭,因幡守を解官された。仁安1(1166)年許され,右馬頭に還任。その後,伊予守,大宰大弐,修理大夫など得分の大きい官職を歴任。治承3(1179)年2月,娘殖子(七条院)が高倉天皇の皇子守貞(後高倉上皇)を生んだが,同年11月に死去。のちに殖子所生の第4皇子尊成(後鳥羽天皇)が即位すると,天皇の外祖父に当たることにより,左大臣従一位を追贈された。

(秋山喜代子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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