坊門家(読み)ぼうもんけ

改訂新版 世界大百科事典 「坊門家」の意味・わかりやすい解説

坊門家 (ぼうもんけ)

藤原氏北家関白道隆の流れ。道隆の子隆家の5世の孫修理大夫信隆(1126-79)は,その女殖子(七条院)が高倉天皇後宮に入り,後鳥羽天皇生母となったことから,外祖父として左大臣を贈られ,その子信清と隆清がそれぞれ内大臣,参議に補されて,ともに坊門家の祖となった。信清は後鳥羽天皇外舅として権力を振るったが,信清の子権大納言忠信は承久の乱では討幕計画を進め,越後国に流された。その後,子孫はおおむね非参議止まりで,南北両朝に分裂後,信清の後裔信行は北朝にあって参議となり,一方,隆清の後裔清忠も参議となって南朝に候したが,ともにその子孫は2,3代で絶えた。

 なお同族に,信隆の弟親信を始祖とする水無瀬(みなせ)家がある。
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関連語 米田

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「坊門家」の意味・わかりやすい解説

坊門家
ぼうもんけ

藤原北家道隆流。平安時代末期,信隆の次男信清および5男隆清の子孫がそれぞれ坊門を称する。信清は皇室外戚 (妹殖子は後鳥羽天皇の母) ,将軍家姻戚 (女は源実朝の室) として権勢があった。子忠信は承久の乱に後鳥羽院に従い,越後に流された。南北朝時代は北朝に仕えている。隆清後裔の清忠は,後醍醐天皇の寵を受け,湊川の敗戦後吉野に逃れ,南朝に仕えた。

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