日本歴史地名大系 「城前村」の解説 城前村じようのまえむら 大分県:西国東郡真玉町城前村[現在地名]真玉町城前真玉川の中流域、猪群(いのむれ)山の南山麓に立地し、西方は湯原(ゆはる)村。西払(にしばらい)に六郷山中山本寺の末寺唐渓山弥勒寺(現廃寺)がある。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、高三二三石余で、家数四九のうち本百姓・小百姓二三、隠居・名子・庭屋・牛屋二六、男四八(うち名子二)・女四四、牛一四・馬四。正保郷帳では真玉庄城之前村とあり、田高一四三石余・畑高九六石余で、日損所、新田有と記す。元禄郷帳では高二五八石余。 城前村じようぜんむら 富山県:中新川郡立山町城前村[現在地名]立山町城前長倉(ながくら)村の東、白岩(しらいわ)川の最上流部に位置。池田(いけだ)城の奥城である礼拝殿(らいはいでん)城の前に集落があったことから村名がつけられたという(五百石地方郷土史要)。正保郷帳では高二二石余、田方八反余・畑方七反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高二六石、免四ツ四歩、小物成は山役二九匁・蝋役一匁・漆役四匁・炭竈役一三匁、享保一三年(一七二八)の検地引高一七石(三箇国高物成帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by