日本歴史地名大系 「城力村」の解説 城力村じようりきむら 福岡県:甘木市城力村[現在地名]甘木市福光(ふくみつ)古江(ふるえ)村の北、桂(かつら)川下流の平野部に位置する。下座(げざ)郡に属し、西は坂井(さかい)村、北は田島(たしま)村。成力とも書いた。江戸時代を通じて福岡藩領。明徳三年(一三九二)一二月一八日の筑前下座郡内除名分目録(阿蘇家文書/南北朝遺文(九州編)六)に「成力」とみえ、当地の宝満(ほうまん)宮の免田四町六反が阿蘇(あそ)社(現熊本県一の宮町)大宮司阿蘇氏の被官と思われる田脇氏の知行分となっていた。小早川時代の指出前之帳では長田(ながた)村に含まれて高付されている。慶長七年(一六〇二)の検地高八一石余、うち大豆七四石余(慶長石高帳)。 城力村じようりきむら 石川県:金沢市旧石川郡地区城力村[現在地名]金沢市城力町駒帰(こまがえり)村の対岸、犀川上流西岸に位置する。犀川筋、金沢より三里の境目にあたった(改作所旧記)。正保郷帳に村名がみえ、南隣の熊走(くまばしり)村と併記される。両村合せて高三一〇石余、田方五町一反余・畑方一五町五反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高五八石・免五ツで、上納米のうち四石は翌年六月の銀納、ほかに山役七九匁・漆役一匁があった(三箇国高物成帳)。寛文年間の家高数三・百姓数四(高免付給人帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報