日本歴史地名大系 「福光村」の解説
福光村
ふくみつむら
現福光町北部、北東流する
元和五年(一六一九)の家高新帳には「ふくミつ」とあり、広瀬組に属し役家数二五、続いて「ひこ様方内給人方」の役家数は二六と記される。正保郷帳では高一千八一〇石余、田方一一六町六反余・畑方四町。水損所と注記される。慶安四年(一六五一)には当村のうち三〇石分が福光新町として分立した。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一千八三二石、免五ツ六歩、小物成は油屋役六匁。草高のうち三一九石が正徳三年(一七一三)検地引高となる(三箇国高物成帳)。寛文三年の川西家高付帳(川合家文書)によれば福光村惣左衛門組に属し、役家数四四、うち二は村肝煎家、ほかに寛永一九年(一六四二)追出百姓分一一、一軒は十村役。寛政四年(一七九二)には三清元組に属し、百姓家数一四六・頭振家数二三〇、惣人数一千九二二、馬三・牛九、肝煎喜兵衛、組合頭宇右衛門・又吉などとなっている(「三清元組覚帳」同文書)。文政八年(一八二五)時および天保一〇年(一八三九)以後は石黒組に属した。
福光村
ふくみつむら
福光村
ふこうむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報