城興寺(読み)じようこうじ

日本歴史地名大系 「城興寺」の解説

城興寺
じようこうじ

[現在地名]南区東九条烏丸町

瑞宝山と号し、真言宗泉涌寺派。本尊千手観音。洛陽三十三ヵ所観音巡りの第二二番札所。この地はもと太政大臣藤原信長の邸宅であったが(拾芥抄)、知足院関白藤原忠実が伝領して寺とした。のちに天台座主最雲法親王が応保二年(一一六二)に死去するに伴い、その弟子であった以仁王が当寺および付属の寺領を領することになるが(山槐記)、治承三年(一一七九)平氏クーデタによりこの知行権を奪われ、これが以仁王挙兵の一要因となったと考えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む