日本歴史地名大系 「埼玉郡」の解説
埼玉郡
さいたまぐん
- 埼玉県:武蔵国
- 埼玉郡
「和名抄」にみえ、訓は東急本に「佐伊太末」、名博本に「サイタマ」とある。足立郡の東、武蔵国の北東端に位置して北は利根川を挟んで上野国・下野国、東も同じく利根川を界して下総国に接していたが、江戸時代初期に
〔古代〕
郡名の初見する文献は、神亀三年(七二六)に作成された山背国愛宕郡雲下里計帳(正倉院文書)で、上毛野君族長谷の戸口である出雲臣乎須が和銅二年(七〇九)に「武蔵国前出郡」へ逃亡したと記されている。「万葉集」にも「前玉之小埼乃沼」(巻九)・「佐吉多万能津」(巻一四)などがみられる。両者は現行田市域にあった沼や津をさすといわれている。「和名抄」高山寺本は太田・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報