20世紀日本人名事典 「堀内伊太郎」の解説 堀内 伊太郎ホリウチ イタロウ 明治〜昭和期の実業家 生年慶応4年1月27日(1868年) 没年昭和6(1931)年4月29日 出生地信濃国伊那郡青島村(長野県伊那市) 学歴〔年〕和仏法律学校(現・法政大学)中退,東京薬学校 経歴17歳で上京し和仏法律学校に入り法律家を志したが、中途で東京薬学校に転じた。漢方医・浅田宗伯の教えを受けて、明治20年に父・伊三郎が創製した御薬さらし水飴の製造・販売に力を注ぐ。のち浅田飴と改め浅田飴本舗を営んだ。実業家として名を成すと、神田区議、東京市議、東京府議を務め、市政・府政に貢献した。雅号を槐堂と称し、晩年は書道に励み一家をなした。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀内伊太郎」の解説 堀内伊太郎 ほりうち-いたろう 1868-1931 明治-昭和時代前期の実業家。慶応4年1月27日生まれ。漢方医浅田宗伯の教えをうけて父伊三郎が明治20年創製した御薬(おんくすり)さらし水飴の製造・販売に力をそそぐ。のち浅田飴とあらため,浅田飴本舗をいとなんだ。東京市会議員,東京府会議員。晩年は書道にはげみ一家をなした。昭和6年4月29日死去。64歳。信濃(しなの)(長野県)出身。号は槐堂。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by