堀江芳極(読み)ほりえ・ただとう

朝日日本歴史人物事典 「堀江芳極」の解説

堀江芳極

没年:宝暦9.9.17(1759.11.6)
生年元禄14(1701)
江戸中期の勘定吟味役通称四郎。父成芳,母は水戸家の侍女某氏の養女。幕初以来代々代官の家筋。勘定より勘定組頭を経て延享2(1745)年閏12月,勘定吟味役へ昇進。勘定奉行神尾春央のもとで,享保改革期後半における年貢増徴政策の実務担当者として活躍。勘定組頭時代の延享1年に,神尾と共に上方,西国巡見に赴いた際,「東からかんの(神尾)若狭が飛んできて野をも山をも堀江荒しろ(四郎)」との落首が伝えられるほど,西国の農民たちに恐れられた。寛延1(1748)年閏10月罷免され,小普請になり,出仕をとどめられ,間もなく許された。

(山田忠雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀江芳極」の解説

堀江芳極 ほりえ-ただとう

1701-1759 江戸時代中期の武士
元禄(げんろく)14年生まれ。家は代々幕府代官。勘定組頭となり,勘定奉行神尾春央(かんお-はるひで)のもとで年貢増徴政策を担当。延享元年神尾にしたがい畿内,中国地方できびしい検地と隠田(おんでん)の摘発などを実施した。2年勘定吟味役にすすむ。宝暦9年9月17日死去。59歳。通称は荒四郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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