イギリスの作家、聖職者。11月24日、アイルランドのクロンメルに生まれる。曽祖父(そうそふ)にケンブリッジ大学の学寮長(マスター)やヨークの大主教を歴任した著名人をもつが、父親はのんき者の貧乏陸軍少尉で、母との結婚も、従軍商人であった彼女の継父に対する借金を帳消しにしてもらうためであったという気まぐれな男であった。スターンは、国の内外にわたる父の勤務地、駐屯地を転々として貧しく育ち、父の死後、親戚(しんせき)の援助でケンブリッジ大学に学んだ。1737年卒業し、ヨークの近在で聖職につく。以後死のときまで30年余を聖職者で送った。41年結婚。こののち約20年は、ときに牧師間の生臭い勢力争いに巻き込まれたり、教養のない母親との確執に悩まされたりしつつも、ヨークの社交界の空気を楽しみ、また大学時代の友人ホールの書斎でその蔵書、ラブレー、モンテーニュ、エラスムス、セルバンテス、バートン、スウィフトなどに読みふけったりして、比較的平穏な田舎(いなか)紳士の生活が続いた。ただし健康は、大学卒業のころ最初の喀血(かっけつ)をみてから、つねに持病の肺患に付きまとわれた。
1759年、ふとしたことから文才を自覚して、『トリストラム・シャンディの生涯と意見』の執筆を始めたが、60年1月、その第1、2巻が出版されると、思いがけない大好評で、一躍ロンドン社交界の寵児(ちょうじ)となり、各方面から引っ張りだこのありさまであった。この作は以後すこしずつ書き継がれて、結局スターンの死で未完に終わった。ほかに68年出版のいっぷう変わった紀行文『センチメンタル・ジャーニー』、60年から死後にかけて出版の『説教集』七巻などの著作がある。晩年、東インド会社勤務のさる男の妻エリザベスという、父娘ほど年の違う若い婦人にのぼせ上がって、『イライザへの日記』という綿々たる手記を残し、これは20世紀に入って公刊された。作品も奇作の誉れが高いが、人としても奇人の部類に属する人物であった。68年3月18日ロンドンで没。
[朱牟田夏雄]
アメリカのバイオリン奏者。ウクライナ西部のクレメネツに生まれたが、1歳にならないうちに両親とともにアメリカに移住。サンフランシスコでアウアー門下のナウム・ブリンダーNaoum Blinder(1889―1965)、イザイ門下のルイス・パーシンガーLouis Persinger(1887―1966)に学ぶ。1935年サンフランシスコで、37年ニューヨークでデビュー、以来アメリカが生んだ最初の世界的なバイオリン奏者として世界各地で活躍した。卓越した技巧と豊麗でまろやかな響きを駆使、スケールの大きい演奏を聴かせた。レパートリーはきわめて広く、20世紀の音楽にも積極的に取り組んだ。60年にピアノのユージン・イストミンEugene Istomin(1925―2003)、チェロのレナード・ローズLeonard Rose(1918―84)と組んでピアノ三重奏団を結成、室内楽でも成果を収めた。1953年(昭和28)初来日。
[岩井宏之]
『中村稔著『ヴァイオリニストの系譜――ヨアヒムからクレーメルまで』(1988・音楽之友社)』▽『Isaac Stern,Chaim PotokMy First 79 Years(2001,Da Capo Press)』
イギリスの小説家。元来イングランド北部ヨークシャーの名門の出身だが,父親はしがない陸軍少尉で方々を転々とし,スターンはアイルランドで生まれる。祖父と叔父の援助でケンブリッジ大学に学び,卒業後ヨークの近くで聖職に就き,20年間ほぼ平穏に牧師を務める。その間ルネサンス以来の風刺的な文人ラブレー,セルバンテス,スウィフトらの書に親しんだ。1750年代後半,ヨークの教会の地位をめぐる権力争いが生じ,それを風刺するため《政治物語》(1759)を執筆。これによって地方的な名声とともに文筆への自信を得て,46歳の彼は次いで《トリストラム・シャンディ》(1759)の1,2巻を出版することになる。最初ヨークで自費出版されたこの筋のない奇妙な小説は直ちに有名になり,ロンドンで出版されるに至った。これを契機にD.ギャリックをはじめ多くの有名人とも知り合った。以後《トリストラム・シャンディ》は61年末までに6巻まで出版されたが,その後は病気治療などのため一時執筆は中絶した。やがてフランス,イタリアでの大陸旅行記を盛り込み,7,8巻が65年に,また最終巻も67年1月に出版され,この奇書も一応完結を見た。その間《ヨリック説教集》(1760-66)を世に出している。また《トリストラム・シャンディ》7巻によって示された大陸旅行記の好評に勢いを得て旅行記《センチメンタル・ジャーニー》(1768)を出版,センチメンタルなる語を流行させた。67年ロンドン滞在中,人妻エリザベス・ドレーパーとの恋の遊びにふけり,その感情の記録を残した。スターンの作品は,小説における〈筋の欠落〉,〈脱線〉の重要性,〈意識の流れ〉との関連で,今日評価されている。
執筆者:榎本 太
ソ連邦ウクライナ生れのアメリカのバイオリン奏者。生後ほどなく家族と渡米,サンフランシスコでアウアー門下のN.ブラインダー,イザイエ門下のL.パーシンガーに師事。15歳のときモントゥー指揮のサンフランシスコ交響楽団と共演して注目され,17歳でニューヨークで最初のリサイタルを開いて絶賛された。第2次世界大戦後は,アメリカを代表するバイオリニストとして世界各地で精力的な活動を行い,日本にも1953年以来しばしば来日,多くのファンをもっている。ロシア派に属するスターンは,よく磨かれた音色美と卓越した技巧を誇っており,レパートリーもきわめて広い。1737年製のグアルネリを愛用する。60年にピアノのE.イストミン,チェロのL.ローズと結成したピアノ・トリオも有名。
執筆者:岩井 宏之
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…だが,これらは結局イギリスの土には根づかず,ヨーロッパ大陸やアメリカで,よりすぐれた実りをもたらすこととなった。
[歴史]
バニアン,デフォーから始まったイギリスの〈ノベル〉の伝統は,その後18世紀にS.リチャードソン,H.フィールディング,L.スターン,スモレットの4巨匠を生み出した。18世紀は一般に〈理性の時代〉と呼ばれ,詩ですら感性よりは知性,論理に訴えかけようとした時代であるから,散文芸術である小説が質量ともにすぐれた作品を生み出したのも当然と思われる。…
…18世紀の啓蒙主義に対抗して現れたルソーの立場はその典型的な例であり,悟性偏重に反抗する19世紀のドイツ・ロマン主義の活動や,実証主義の時代を経て19世紀末から20世紀にかけて現れた〈生の哲学〉に流れる基調もこれに含められる。【細井 雄介】 そもそも〈センチメンタル〉なる英語がひろく用いられるようになるきっかけは,18世紀のイギリスの作家L.スターンの《センチメンタル・ジャーニー》(1768)であった。それまでに流布していた旅行記と異なり,自然の風物や都市の景観には目もくれず,もっぱら人心のあわれ(センチメント)を描くことを主眼にしたこの作品は,18世紀前半を支配した新古典主義(ネオ・クラシシズム)の主知主義からぬけ出る姿勢を示していた。…
…イギリスの小説家L.スターンの小説。1759‐67年刊。…
※「スターン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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