堀沼城村(読み)ほりぬましろむら

日本歴史地名大系 「堀沼城村」の解説

堀沼城村
ほりぬましろむら

[現在地名]秦野市堀西(ほりにし)

西境を四十八瀬(しじゆうはつせ)川(斎藤川)が流れ、南は千(ち)村、四十八瀬川の対岸は足柄上(あしがらかみ)郡菖蒲(しようぶ)村に接し、北・東の堀斎藤(ほりさいとう)村と村境が錯雑する。堀山下(ほりやました)村・堀川(ほりかわ)村・堀斎藤村とともに堀四ヵ村の一つ。文保二年(一三一八)二月二八日の南波多野庄公文僧覚弁請文(県史二)にみえる「南波多野庄堀村」の一部。正保国絵図には「堀村」とあり、正保四年(一六四七)の幕領分高覚(県史六)には「高九拾八石二斗八升 沼城分」、元禄国絵図には「堀沼城村」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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