朝日日本歴史人物事典 「堀直虎」の解説
堀直虎
生年:天保7.8.16(1836.9.26)
幕末の須坂藩(長野県)藩主。幕府閣僚。直格の5男に生まれ,文久1(1861)年藩主となる。不服従の藩士33名を追放し藩政改革を断行。財政政策を進め,洋式兵学に基づき軍備の充実を図る。同3年大番頭,慶応3(1867)年12月5日若年寄となり外国総奉行を兼ねた。翌明治1(1868)年の鳥羽・伏見の戦に敗北して徳川慶喜が江戸に帰ってのち,新政府軍への抗戦か恭順かを巡り議論が続いた。そうしたなか江戸城西ノ丸老中詰所大廊下に自刃。抗戦を主張しての諫死といわれる。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報